ヘミツルアズキの備忘録

一昨日あたりから、ヘミツルアズキを収穫しはじめている。熟したものから順次。天候次第だが、9月半ばくらいまでは続くと思う。気温が下がり秋の長雨にさらされると、鞘が腐るようになり虫の食われ方もひどくなり終わりを迎える。若い鞘を加熱して食すのであれば、10月初旬くらいまでは結実を続けるので、とれなくはなかったと思う。
庄内の山地で焼畑耕作の最終年に植えるのだと聞き、わけていただいた種子から継いできているものだ。ヘミとはfoolishの方言だと捉えていたが、違うようだ。「ヘミ」は蛇ともとれるが、ヤブデマリの和名としての「ヘミ」からきているのかもしれない。
もとはといえば、ほうっておいても、何もしなくても、すなわち頭をつかわなくてもできてしまうツルアズキという意味だと思いこんでいた。出雲地方でダラマメとかバカマメと呼ばれるエンドウ豆があり、そちらにひきずられていたのだ。それらは、たくさんできる、あきれたようにとれるという意味を含んでいる。そこには「感心」「驚き」をあらわすような、尋常ならざるもの(foolishがそうであるように)に向かったときの感情が入っているようだ。

ヘミツルアズキはそれらとは違う。なぜにヘミであったか。
・方言としての「ヘミ」をあたりなおす
・ヤブデマリがヘミと呼ばれた、そのヘミとは
・蛇をヘミとするときの用例をあたる
これら語義と同時に、ヘミツルアズキ、その特徴についてより知る必要がある。

ツルアズキとは称せられているが、マメの形状はアズキではなくササゲであり、植物学的分類はハタササゲ(Vigna unguiculata (L.) Walpers cv-gr. Biflora E. Westphal)である。ヤッコササゲともいう。ルーツはアフリカでありササゲの変種であったか。そのあたり記憶も曖昧ゆえ、訂正のための叩き台とする意図もあって、いまわかるところで備忘を録しつつ、追記を試みたい。

小学館の日本大百科全書から星川清親,2019の解説には、その由来についてこうある。

《栽培されているササゲ類中ではもっとも野生的なものとされ、ワイルド・カウピーwild cowpeaの名もある。原産地はアフリカで、タンガニーカ、キリマンジャロ山麓から、標高2000メートル地帯にまで野生種がある。中央アフリカで古代に栽培化され、いまは世界各地に伝播している。日本へは、中国から9世紀までには伝来していた》

野性的とされる理由はいくつかあるだろうが、ヘミツルアズキの種子をお譲りいただいたE先生が栽培者から聞いた話によると、(夏の)雑草に負けないということ。蔓が他の草に覆いかぶさるようにしてのびていくのだという。しかし、その特徴はハタササゲ本来の特徴ではなさそうだ。先の星川清親,2019には、《つるはほとんど伸びず》とある。ササゲ属(大角豆、白角豆)の品種は160ほどもあるようだが、鞘が短いものには蔓なしが多いようだ。10センチ程度のものは蔓なし矮性。10〜30センチには蔓なしと蔓ありと。すると、このハタササゲは品種群のなかでは境界的なものだと仮定できる。

農業生物資源ジーンバンクの「ハタササゲ」では、その起源についてこう記述。

ハタササゲ(Vigna unguiculata cultigroup Biflora)は,アフリカに起源し東南アジアに広がったササゲ (cultigroup Unguiculata)から,インドにおいて作り上げられた品種群であると考えられている (Ng,N.Q. and R.Marechal. 1985. Cowpea taxonomy, origin and germ plasm. In “Cowpea Research, Production and Utilization” eds.S.R.Singh and K.O.Rachie. pp.11-21. John Wiley & Sons Ltd.)。

同じくジーンバンクのそれより、分類と特徴について、ひいておく。

分類
ハタササゲはササゲ属(Vigna)ササゲ亜属(Vigna)に属する一年生のマメ科作物である。Verdcourt (1970) は,栽培種のササゲ類( V.unguiculata )を3つの亜種, subsp. unguiculata,,subsp. sesquipedalis , subsp. cylindlicaに分類した。その後,Marechal et al. (1978)は,Verdcourtが提案した3つの亜種は分類学上の単位として分けるほどの違いはなく,品種群として分類することを提案した。
彼らが提唱した栽培種ササゲ類の4つの品種群は,品種群 Unguiculata,品種群 Sesquipedalis,品種群 Bifloraおよび品種群 Textilis である。品種群 Unguiculataはアフリカで栽培化されたいわゆるササゲ,品種群 Sesquipedalisは東南アジアを中心に裁培され長い莢を野菜として利用するジュウロクササゲ,品種群 BifloraはVerdcourtの亜種cylindlicaにあたり小粒で莢の短いハタササゲ,品種群 Textilisは長い花梗から繊維をとるために北アフリカに裁培されていた品種群である。2n=22。
特徴
ハタササゲの葉はやや光沢があり,花は紫または白である。ハタササゲの花はササゲの花より小さい。
種子はササゲの種子より小さい。種子色は黒,褐,白赤など多様。莢長は7-13cmで他の品種群より短く上向きに着く。
染色体数 2n=22。

ヘミツルアズキ(ハタササゲ)については、品種群Bifloraに該当し、「小粒で鞘が短い」「花が紫または白」「種子はササゲより小さい」「莢長は7〜13cmで他の品種群より短く上向きにつく」というあたりを特徴としてあげている。このなかでは蔓のありなし、その長さについては記載がない。ほかをあたってみる必要がある。

・蔓の特徴について他のハタササゲではどうなのか
・ササゲのなかではどうなのか
栽培例など、まずは写真と資料で確かめてみるべき。

 さて、今年の栽培履歴をみてみよう。
播種時期が不詳だが、記録から
つるはほとんど伸びず、3小葉の葉の付けねに花序がつき、2あるいは3個の莢(さや)が物を捧(ささ)げる手のように、上向きにつく。類推するに、山畑には6月25日前後、庭のほうが同じか少しあとだったろう。以下数枚の写真はすべて山畑である。

◆山畑のヘミツルアズキ

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・7月11日の山畑。発芽とその後は順調だった。

0802・8月2日。蔓をのばしはじめる。

0809・8月9日。成長が加速。

0816P1310957・8月16日。開花。すでに結実しているものも多いので、初開花は5〜6日は前だろうか。

0823_P1320095・8月23日。実がしっかり太ってきた。この7日後あたりから収穫しはじめ。

IMGP8645・8月31日。収穫後3日のちに鞘から取り出した。

野老と道々のもの

P1310622 おそらく鬼野老(オニドコロ)だと思う。一昨日やっと見つけた。探しているときには見つからず、忘れた頃に、こんなところにあったのかと驚くのはいつものこと。そして、7月下旬の今頃が目立つということでもあろう。花をつけるのもこれからだ。
トコロを食べる会として、蔓延って困っているというところからは根こそぎ持ち去ることを申し出るべく、会の趣意を記してみようと思う。
鬼野老と書いてオニドコロ。令和2年現在、ウェブで散見するに、数年前の記事では青森、山形では、道の駅でも売られているとか。山陰ではまず見ないし、聞くこともない。出雲地方、石見地方での呼称については不明。出雲国産物帳を紐解いてもそれらしい記載はない。
トコロと名のつくものはいくつかある。
・アマドコロ(甘野老)
・ヤマアマドコロ(山甘野老)
・ウチワドコロ(団扇野老)
・カエデドコロ(楓野老)
・キクバドコロ(菊葉野老)
・ヒメドコロ(姫野老)
・タチドコロ(立野老)
が、通常、トコロといえば、オニドコロ(鬼野老)、すなわちヤマノイモ科のDioscorea tokoro Makinoをさす。いつのころからなのか。仮に江戸時代中期以降と見立て、その嚆矢を元禄時代とみてみよう。『本朝食艦』を著した人見必大とて、トコロという呼称の由来については不詳としている。漢名は山萆薢、生薬名は「萆薢(ヒカイ)」というのは誤用のようだが、よくあることで、気をつけたい。また、必大は野老の栽培も多いということにふれ、栽培したものの毒性についてふれている。言及こそないものの、山野の自生したものが用いやすいということか。さらに、栽培は食用ではなく、生薬にするためのものであったであろうと。さらに進めて、元禄の頃よりトコロを日常に食することが減っていったのだろうと、今は見ておこう。元禄の『本朝食艦』から五十年ほど時代をくだって弘化の『重訂本草綱目啓蒙』になると「味ニガク食フベカラズ」と記され、干して春盤の具(正月の供物)とすることや奥州、阿州では上巳の節句に用いるのだ等、文字の知識と儀礼に残るだけのものとなっていく。
僅かな文を手がかりに、時代を室町、鎌倉、平安にまで遡れば、いま少し違う風景も見えてくるようで、そうしたことからの臆見に過ぎないが、トコロを食べてみようという向きにはそれでも有用なのだ。
蛇足ながらの付言をふたつ。
日常の食とはいっても、嗜好食である(あった)ことは、野本寛一が『栃と餅』2005,岩波書店で記していることからも推し量れる。野本氏が口にしたその食味とあわせて平成15年3月2日に新潟県岩船郡山北町山熊田での出来事をその書からひいておこう。

《こうして仲間が集って手仕事をする時や、家族がイロリやストーブの回りに集まって団欒する時、煮あげて笊に盛ってあるトコロの皮を小刀や果物ナイフでむいて楽しみながら食べるのだという。ーーキヨ子さん(大正12年生まれ)は包丁で手際よく皮をむき、食べてみろと勧めてくれた。
色は薄い飴色に鬱金色を混ぜたような色である。口もとへ運んだ瞬間、微かな芳香が鼻孔を刺激した。口に入れて噛む。ねっちりとした歯応えがあってホロ苦い。苦いけれども口が涼しい。歯応え、舌ざわりは山芋を輪切りにして煮たものに近いがそれよりも弾力性がある。爽やかな香気がある。苦いが抵抗感は湧いてこない。》

山北町(村上市)は山形県鶴岡市と接し、むしろ山形であると、町の方から聞いたことがある。山北町の焼畑でつくられる赤カブは鶴岡市温海の温海カブと名称こそ違え、ものは同じであるようだ。そうしたこともこの話の糸のひとつ。食べてみるといえば、島根県内で毎年、口にしているところもある。美保神社の青柴垣神事。供物の中でも野老は重要なもので、當屋が供物であるトコロいもを海中で洗う「野老洗い」は欠かせない儀礼となっている。今現在どう調理されているか、野老はどこから取ってくるのか等、確かめるべきことも多い。山形地方から贖っているということを論文で見た記憶があるがすぐに取り出せないので勘違いかもしれない。この糸は、山陰は元来白カブを地カブとする地域なのだが、津田蕪をはじめ、米子蕪、飯島蕪と赤カブが沿岸地域に存在する(してきた)。その北の縁と、里芋・生姜・茗荷とつながる南の縁をつなげることに、意味はある。

もうひとつは、舞狂言の「野老」である。
幽霊となってさまよう鬼野老の霊を僧が供養するのだが、野老の精が延々とその身の上を語るところが主話となる。
能楽研究所が蔵しウェブ公開されている「天正狂言本」からその冒頭をひく。画像に朱で示したところ。

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《そもそも山深きところを
鋤鍬にて掘り起こされて、
三途の川にて振り濯がれて、
地獄の釜に投げ入れられて、
くらくらと煮ゆらかしていませるところを
慈悲深き釈尊(杓子) に救い(掬い)あげられ……》

続きも笑いをこらえるところなのだろうが、目をこらすべきは「山深きところ」。野老は山深いところだけにあるわけではない。これは舞狂言がそうであるように、この夢幻のなかで野老を食していたのも、それを供養しているのも、当時のいわゆる農民や僧ではなく網野善彦いうところの「道々のもの」であることを示している。漂泊するもの、だれにもどこにも属することなく、諸芸職工を懐に道の上に生を全うし歴史から消えていったもの。そうしたものの霊こそが慰められている。
野老は道々のものが、楽味とし、滋養としたのだろう。合歓木の花咲く夏の日、鮮やかに静かに葉を茂らせるその姿に夢想した。
さて、どこまでか、たどれるところまでそれを追い、食べてみよう、というのが、トコロを食べる会の趣意である。

令和2年夏の畑

◆6月6日
藪を払った淡竹林からようやく筍がちらほらと。掘り取ったあとがあったので、あの方が来られていたのかもしれない。たぶん1日には出始めていたのだろう。ここは奥のほうの藪を払って、雑木そして杉にからまる蔓の類を除いていく。そして親子でも入れる気持ちのよい森にしていくのだ。

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◆6月7日
山の畑のスペルト小麦。花をつけていた。春先に何者か(狸だろう)に根本のほうまで食われていたので、あきらめていた。先のほうをいたずらのように食われたのならまだしも、けっこうがっつりすべての株がやられていたのだった。春先でもあるし成長点がずいぶん下のほうだったのだろう。実入りが少ないが、これ、菜園畑とくらべるとまだまだ土に穀物を育てる力があるということ。火入れから2作目であること、前作はサツマイモということ、土がもともとよいこと、そうしたことなど、要因と相関を頭に入れておこう。
そうそう。ここの空いたところに大豆でもいいじゃないかと思ったのだけれど、日照がよくないので、きびしいね。

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◆6月14日
†. 消炭づくりとセリ汁
降雨で土はびっしょり。竹の葉も湿っている状態。数日前の降雨までは雨不足による渇水で取水制限が出されたばかりだった。なので、バリバリに竹の材は乾いていたはずで、そこにどの程度雨が浸透しているかによる。暫定の結論を先にいえば、思ったよりも燃えにくかった、ということ。4月に切った竹が多かったことと、切って2年たつような古い竹も多かったこと、などによろう。孟宗竹の山と淡竹の山、2箇所で焼いたのだが、淡竹のほうはさらに燃えにくかった。
燃えにくいと、消炭としてはいまひとつのものとなるのかもしらん。

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セリ汁は、余裕があればつくろうとしたが、余裕はうまれず、ただ、竹筒を切って、下ごしらえくらいまではできたので、いろいろと得るものもあった。次回へ。

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◆6月16日

†. 大豆の播種
種まき用にとっておいた(はずの)白大豆が見当たらない。冷蔵庫に、それ用かどうかは不明のもの80粒弱を発見、小豆とともに。小豆と黒大豆は中旬までには播種したかったが、起こしもできてないし、どうしようか。オリゼ畑はともかく、山畑は大変、な、はず。
→白大豆は6/21、山の畑に。約70粒。
*7月3日追記;山の畑、半分ほど発芽。遅め。

†. タカキビ
今年は多めにまこうと思いながら、できてない。山の菜園畑では、わずかながら蒔いたところにはエノコログサかメヒシバと思しきものが大量に芽吹いていた。見分けにくいが、いくつか発芽はしているようだ。のびはじめたら強いのだが、この小さいときにどうも生き残りにくいのではないか。苗にしておくものをつくっていなかったのが悔やまれる。が、遅くないかもしらんので、今日つくっておこう。
タカキビ×大麦入のご飯を炊いた。八分づきの米1合半とタカキビ×大麦が半合で、タカキビ多め。かなり粘りが出て、かたまってるところをほおばるとまるでもち米。うまいはうまい。5時間程度は水に浸けて、洗い直したものを入れているので、アクはある程度抜けているはずだが、この分量だとほとんど渋みを感じない。

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*6月19日追記:オリゼ畑に蒔いたものが発芽していた。1週間もたっていないはず。苗ポットに播種したのも同日。6月末までに発芽してうまく育てば、種子としては不全なれど食うには食えるものがいくつかできるのではと思う。
†. タマネギ
三日前がほぼ終日の豪雨、二日前の日曜日も時折豪雨となった日だが、すきをみてオリゼ畑にほってあった晩生のタマネギで薹立ちしたものを掘り上げておいた。そいつを昨日、調理してみた。中心部はたしかに多少すかした感じもあるが、ほぼ問題なく食べられる。もともと5センチほどの小さな玉だからさほど感じないだけなのかも。種子からやってみるのなら、畑においてあるものから種どりして9月には播種の予定。山の畑でもできんことはないし、連作できる野菜としてうまくいかしていきたい。
†. モチアワ
古い種子をダメ元で盛大にばらまいたりもしているが、どうやら無理なようだ。半端な量では鳥にぜんぶ食われるし、そこは難しい。ホンリーとの混植が鳥たちの突撃を回避できるかもしれないが、鳥も学習するので、どうだろう。種子がきれたこともあり今年から少々おやすみしよう。
†. 里芋(三刀屋在来)
山畑(菜園畑)の発芽がようやくといったところ。これから挽回できるかどうか。オリゼ畑は順調といえよう。
†. シロヒエ
山の菜園畑に蒔いたのは1回目が5月11日、2回目が6月2日。そして下の写真は1回目の発芽で5月24日。
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◆6月18日
†. スペルト小麦の刈取り
まだ青いのだが、稈は黄化しているものが9割方。夕方から雨の予報だったので、昼過ぎから刈り取るつもりでいた。ところが。朝4時半すぎだろうか、妻が「雨が降り始めたね」と。外をみるとたしかに降っている。慌てて着替えて、畑に出た。小ぶりだ。雨具はいらない。鋸鎌でせっせと切る。徒長気味に背をのばした稈はいつもの年よりやわらかい気がする。実の大きさも小さいのではないか。
つつじの横、庭のものも刈り取った。こちらは昨年よりもずいぶんと立派だ。そういえば、山のものも、食害にもかかわらず実のつきは悪くなかった。

◆6月23日
火入れ

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◆7月3日
†. アマランサス
昨年春焼き地にばら撒いたものは、大きくなっていないようだ。山畑のものは遅いのかもしれない。オリゼ畑のこぼれ種からのものは大きなものでは腰高くらい。3日前くらいに間引きと移植を行った。早いものではもう蕾部が頭頂から出始めている。

◆7月22日
†. アマランサス
6/23に山で火入れをした後、翌日にばら撒いたアマランサスがいつのまにかこんな状態。遅いのであるが、間引きをし柵をつくり暑い夏が長引けばそこそこ収穫ができそう。どうしたものか。

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◆8月9日
†. 白大豆
ようやくのびてきた。豆は暑くなってからののびしろが大きい。
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†. ヘミツルアズキ
畑ササゲも蔓をぐい〜んとのばしてからみはじめたところ。
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†. 白ヒエ
たいがいどこでも育つものだが、今年はよくない。種子をうまくとって次年度へのつなぎとする。
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令和2年春の畑

◆3/26の備忘
・キクイモ……キクイモをケタ地の盛土地に植えてきた。3週間ほども前だろうか、掘り上げたあと、埋め戻したものからは根が出ていた。ここは日当たりがいい。今日は23℃まで気温もあがった。ほかのものたちの播種をいそごう。
・裸麦……オリゼ畑のが出穂しきったのは10日ほど前だと思う。かなり早い。山畑のものはまだまだ。
・タケノコ……孟宗竹の初物。山畑、春の火入予定地でひとつほりあげた。
・山畑のスミレ……22日にはけっこう咲いていた。例年より14日〜21日ほどは早いと思う。

◆3/29の備忘
・苗……黒小町、かちわり、ブラックチェリー(トマト)を播種。苗土は春の火入予定地から3種くらいを採取したものと、土床のものをブレンド。また、珈琲豆とおからの堆肥(3週間おきのもので出来のよいやつ)も少々。土床には雑草の根がけっこう残っていたため、表面の種子をバーナーで焼くついでに、土の中もけっこう焼いた。ほかほかと暖かいものをポッドにつめて種を埋める。
・草とり……畑や庭やあちらこちらを少しずつ。

◆4/4の備忘
・ミツバチ……ニホンミツバチの待ち箱を牧場に設置。カラスザンショの木の下だが、ほんとに置いただけなので、風雨にさらされる前に足場をかためたり固定したりをしにいく。入ってくれるだろうか。幹を持ち出した。
・ウバユリ……牧場のそこここで葉を出しているのをみる。どこも大なり小なり伐開をしたところだ。潜在的にかなりの量が周辺地域にあったのではないか。いっぽうで、半日陰となり水が滲み出るような小さな谷状地が、近年次々となくなっていったということでもあるだろう。

◆4/7の庭など
・昨日。妻がいうところの「桜パトロール」にでかけた。徒歩で約2時間ほど木次を歩く。ソメイヨシノはこの春はとても長く花をつけていたが、この日から散り始め。アスファルトの道路を小さい子(花びら)がテクテクと歩いていくようだった。ほんとうに。秋葉山にはじめてあがってみた。大きなエドヒガンがステージの横に鎮座していて、推定樹齢は90年。まだまだ花を咲かせ続けそうな勢いのある姿をおがむことができた。
・鉢の底から何度も根を降ろしていた薔薇を土におろした。ついでに炭穴を通路ぞいに3箇所ほどつくっておいた。
・先週の霜が最後ではなかろうか。里芋をどこに植えようかと思っていたが、そうか、通路におくのもいいだろうと。目印に竹の枝をさしておけばよい。
・人参の手入れ(草抜き)。ビーツはまだのびてこない。畑にハコベらしきものを見たが、どうだろう。土筆が姿を消してスギナが目立つようになった。

◆5/24の山畑より
ずいぶんと間があいてしまった。のちほど加筆していきたい。
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令和2年冬の畑

◆2020/2/5の仕事
・黒大豆…昨日、昨年から干したままの黒大豆を脱穀し終えた。種取り用に以前にとっていたものとあわせても350gほどだろうか。半分以上が虫に食われたり腐ったりしていた。もともと収穫が遅かったこともあろうが、播種時期がずれていたのだと思う。7月にかかっていたのではなかったか。
順調に収穫できていたとしたら700gだろうか。裏のオリゼ畑だけで栽培したのだからそんなものかとも思うが、はてさて。家庭菜園とはいえ2kgはほしいものだ。場所がないのだけれど。
黒大豆は赤名黒姫丸。白大豆とくらべて栽培はしにくい。大粒だからか。自然栽培農家から買っていたものを種にしたものだからそうそう虫やらにやられることもないだろうが。一度山畑で試してみるのがいいだろう。場所さえ確保できれば。
そして。
山畑の白大豆もそうだが、今年は基本、昨年より早めの播種としよう。昨年の播種日を確認しながら手帳にのちほど書き込むとして。
さて、希少な黒豆は妻が煮豆にしてくれるという。300gに対して水1リットル、きび糖200g、しょうゆ大さじ1。沸騰までさせずとも熱を加えてきび糖を溶かすようにして、火を切り一晩おいておく。甘み醤油を豆が吸ったところで煮る、というレシピである。明日が楽しみ。
・山の竹切り…この冬はじめての積雪かと期待?しつつの山仕事。昼にはみぞれと雨が交互に降るような空模様で、風も冷たく、いつもなら行きたくないような気候であるが、今日はさにあらず。理由。もし雪が積もるようなら、燃やしやすくなるから。延焼のリスク、すなわち山火事へと至るような事態は大幅に低下する冬ではあるが、0.00001くらいにまで下がるには積雪が必要だ。数十センチレベルなら、まあどこでも大丈夫。防火のための運搬なしで、積んであるところにそのまま火を入れればいい。この冬はそんな積雪はのぞむべくもないが、うっすら数センチでもいい。それなら可能なところを低労力、すなわちひとりでも用意できる。
そう、チャンスなのだ。この寒さと雪は。そうと思えば、気合は入る。気温は3℃前後かと思うが、約3時間ほど積んである竹を切ったり、移動したり、投げたりを繰り返した。多少汗ばむくらいで、動くには快適な気温だった。

◆2020/2/26の雑想
・消し炭づくり

あっという間に冬が終わった。この項、のちほど加筆。