小寒の日の午後、杵築大社に詣でる

令和5年1月6日、小寒の日の午後、杵築の大社に詣でる。いつも行くように、八雲山、弥山を前にみながら歩を進められる、歴史博物館からの道を行く。北島國造館へ参り、そこで玉串をいただき、八雲山、その山塊の東の裾から湧出でて池をなす館の庭を横切るようにして、垣の内へ入るのだ。

穏やかな空気が心地よかった。無の空間、すなわち神の名を呼び出してきた場が、ほのかに、たしかに、そこにあると信じられた。この日は、三連休前の平日であり、正月にはたいそう賑わったという人の出も落着いてきていたのだ。境内を歩くにせよ、人の動きに気をとられることがないのだから、自ずと社や常緑の森、足もとの石畳、玉砂利、それらから伝わるものを、受け取りやすい。この日のこの時間に行かねばというものではないよね、と妻とも話した。もはや正月三が日に訪れることはないだろう。それでも、正月の初詣であると思う。

 

令和5年のnie Wien-「私は知らない」

木次に越してきて十年。覚え知ること積み重なるよりまして、知らないことが既知のまわりにひろがっていく。小さな土地がその小ささはそのままに、世界がどんどんひろがっていくようなものか。自分がだんだん小さくなっていくが、それが心地よくもある。

実をつけぬ柿の木が裏の畑にあった。越してきて数年はまったくならず、近年ひとつふたつはなるようになったのだが、とって食べれば食べられなくはないというほどの出来。贔屓目に美味いと言ってはみるものの、人にすすめられるものではなかった。ならぬのなら伐るか。そう決めたのが昨年のこと。心の声を誰が伝えたのか、満を持していたのか、秋には鈴なりに実った。取り切れず、しかも美味い。柿が好きではない妻でさえ、これは美味いといった。方方におすそわけしたが、それでも食べきれないほどであった。小さな一本の甘柿の突然ともいえる変貌。いくつか心当たりはあるものの、その理は不明である。

ことにここ数年、斯様なこと枚挙に暇なし。新たな知見得るごとに、未知更に広がる様には呆れるばかり。然れども。

“nie Wien”―私は「知らない」。

シンボルスカは、この詞を「知っている」に抗する小さくとも強い翼だと言った。年賀にあたってしかと受け止め、自分のものとしていきたい。
あ、また、食べることも忘れずに。

†. サラダには、件の実った柿、焼畑の蕪、GOOD LIFE FARMのセルバチコ。café A. oryzaeのランチに今年もまたあげられれば。
†. nie wienはヴィスウァヴァ・シンボルスカの1966年ノーベル文学賞スピーチより。ノーベル財団のウェブサイトに掲載。沼野充義の邦訳が『終わりと始まり』(未知谷)に収められている。

”おすそわけ Kae’s note 2019, spring-autumn”に寄せて

樟舎の本、”おすそわけ Kae’s note 2019, spring-autumn”の刊行を期した企画展を、2021年5月1日から5月16日まで開催している。松江の古本屋さん冬營舎と、木次のカフェ・オリゼ、ふたつの会場にて。題して「伊澤加恵、あしもとの世界と小さな作品展」

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これはその弥縫的記録である。
 まずは、虹の話からしてみようとおもう

虹を指差すと、不吉なことが起こる。疫病、災害、戦乱……。だから、虹をみつけたとき、決して指であそこと指差したりしてはならない。小さなころに諭された人はもういない(たぶん)のだから、その昔、人々は虹に対してどんな感情を抱いていたのかを知ることは、少なくとも確定的には不可能となった。
 それでも知りたいと思うとき、そんなときにはやってみればよい。焼畑をやることも、たぶん同じ線の上にある。樟舎がつくる(つくった・つくりつづけている)伊澤加恵のちょっと変わった絵本『おすそわけ』も同じだ。
 虹のぼっておもうのは、虹の根っこは   ということ。

 本のいちばんうしろ、ページをまたがって記されている一文である。

 ホワイトスペースには、文字が入っている、はずなのだが、写真で覆い隠されたその後ろに、「それ」はあるのかどうか……。
編者は、少々というか、数日考えた結果、あることをしたのだが、さてそのこたえは?
がしてみれば、わかることだが、果たしてそれは本当にこたえなのか。
 それがもし、虹を指差す行為であり、災いをこの世界にもたらすものであると、その再現をはかるべく編者である私が仕掛けたのであれば、それはめくってはならないものとなってしまうだろうし。ただ、めくってみようとする人、見てしまう人がいることは折込み済みである。むしろ、この本の楽しみは、どうなっているんだろうとあれこれいじったり、考えたりするところにあって、ここをはがしてみたいという好奇心はまっとうで自然なものでもある。

さて、どうなっているかは、はがしてみればわかりますが、さて、あなたははがしますか、それともそのままにしますか?

カフェ・オリゼの麹づくり

 カフェ・オリゼの糀づくり、はじまってます。七分づきのお米に種をつけ、カビ(アスペルギルス・オリゼ)を培養していきます。私たちはA.オリゼのおすそわけをいただいて、毎年、味噌をつくることができます。ありがたいことです。

樟舎と同じ小さな民家で営んでいるCafé A.oryzaeは、カフェ・オリゼと呼んでいますが、オリゼとはA.oryzaeのこと。学名Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼ)からとっています。通称ニホンコウジカビ。その名が示すとおり、日本で古くから「使われ」てきたカビです。人工的商業的に培養されたその始まりは室町時代にまで遡るとも。味噌に醤油に日本酒に。日本の味をつくってきた、日本に住む人の命を培ってきたカビたちです。

自家で麹をつくりはじめて五年目。
年々「うまく」なっていて、昨年は玄米でも麹菌を入り込ませることができました。これまでは白米でやっていましたが、今年は七歩づきで。二歩づきでもできるのですが、見た目が黄色いため、おわけする皆さんがなれずに抵抗感があるのではということでそうしています。
来年もしくは再来年にカフェ・オリゼでお出しする味噌には今年仕込んだ二歩づきの麹が使われることになります。
お米は古米がいいといわれます。主にふたつの理由があって、新しいお米ではもったいないということ。もうひとつは古いお米のほうが、麹菌がつきやすいということ。今年は古米が手に入らなかったため、新しいお米を使っています。奥出雲仁多地方で、親の代から古来の栽培法でお米を無農薬で育てておられる方のところからやってきた、それはそれは美味しいお米。
土も水も空気も、何百年とつづいた数多の人の営為もあって、その恵みをわけていただき、こうやって麹を仕込むことができます。どうかうまくいきますように。

熊子の古を拾いつつ#地方史誌其の一

熊子(くまご)と、出雲地方で呼ばれてきたアワのことについて、いまだ調べること多いものの、まとめていこうと思う。記録の散逸、記憶の錯誤をおそれる。できるところから少しずつ書き足していく方式をとろうと思う。

あわせて、聞き取りを再開したい。その基礎資料としてつくるものでもあるが、遠い誰かの役にたてればと書き置く。

地方史誌其の一では、島根県内でのそれを中心に集めていく。順序はまた整理するとして、まだ一度も文字に起こしていない(であろう)ものから。基本的な記載法としては、全文を抜書きした後に注釈、解釈をつけていく体裁とする。
熊子(クマゴ、くまご)の表記は段落内で引用文献とあわせ、統一はしない。続きを読む →