”おすそわけ Kae’s note 2019, spring-autumn”に寄せて

樟舎の本、”おすそわけ Kae’s note 2019, spring-autumn”の刊行を期した企画展を、2021年5月1日から5月16日まで開催している。松江の古本屋さん冬營舎と、木次のカフェ・オリゼ、ふたつの会場にて。題して「伊澤加恵、あしもとの世界と小さな作品展」

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これはその弥縫的記録である。
 まずは、虹の話からしてみようとおもう

虹を指差すと、不吉なことが起こる。疫病、災害、戦乱……。だから、虹をみつけたとき、決して指であそこと指差したりしてはならない。小さなころに諭された人はもういない(たぶん)のだから、その昔、人々は虹に対してどんな感情を抱いていたのかを知ることは、少なくとも確定的には不可能となった。
 それでも知りたいと思うとき、そんなときにはやってみればよい。焼畑をやることも、たぶん同じ線の上にある。樟舎がつくる(つくった・つくりつづけている)伊澤加恵のちょっと変わった絵本『おすそわけ』も同じだ。
 虹のぼっておもうのは、虹の根っこは   ということ。

 本のいちばんうしろ、ページをまたがって記されている一文である。

 ホワイトスペースには、文字が入っている、はずなのだが、写真で覆い隠されたその後ろに、「それ」はあるのかどうか……。
編者は、少々というか、数日考えた結果、あることをしたのだが、さてそのこたえは?
がしてみれば、わかることだが、果たしてそれは本当にこたえなのか。
 それがもし、虹を指差す行為であり、災いをこの世界にもたらすものであると、その再現をはかるべく編者である私が仕掛けたのであれば、それはめくってはならないものとなってしまうだろうし。ただ、めくってみようとする人、見てしまう人がいることは折込み済みである。むしろ、この本の楽しみは、どうなっているんだろうとあれこれいじったり、考えたりするところにあって、ここをはがしてみたいという好奇心はまっとうで自然なものでもある。

さて、どうなっているかは、はがしてみればわかりますが、さて、あなたははがしますか、それともそのままにしますか?

カフェ・オリゼの麹づくり

 カフェ・オリゼの糀づくり、はじまってます。七分づきのお米に種をつけ、カビ(アスペルギルス・オリゼ)を培養していきます。私たちはA.オリゼのおすそわけをいただいて、毎年、味噌をつくることができます。ありがたいことです。

樟舎と同じ小さな民家で営んでいるCafé A.oryzaeは、カフェ・オリゼと呼んでいますが、オリゼとはA.oryzaeのこと。学名Aspergillus oryzae(アスペルギルス・オリゼ)からとっています。通称ニホンコウジカビ。その名が示すとおり、日本で古くから「使われ」てきたカビです。人工的商業的に培養されたその始まりは室町時代にまで遡るとも。味噌に醤油に日本酒に。日本の味をつくってきた、日本に住む人の命を培ってきたカビたちです。

自家で麹をつくりはじめて五年目。
年々「うまく」なっていて、昨年は玄米でも麹菌を入り込ませることができました。これまでは白米でやっていましたが、今年は七歩づきで。二歩づきでもできるのですが、見た目が黄色いため、おわけする皆さんがなれずに抵抗感があるのではということでそうしています。
来年もしくは再来年にカフェ・オリゼでお出しする味噌には今年仕込んだ二歩づきの麹が使われることになります。
お米は古米がいいといわれます。主にふたつの理由があって、新しいお米ではもったいないということ。もうひとつは古いお米のほうが、麹菌がつきやすいということ。今年は古米が手に入らなかったため、新しいお米を使っています。奥出雲仁多地方で、親の代から古来の栽培法でお米を無農薬で育てておられる方のところからやってきた、それはそれは美味しいお米。
土も水も空気も、何百年とつづいた数多の人の営為もあって、その恵みをわけていただき、こうやって麹を仕込むことができます。どうかうまくいきますように。

熊子の古を拾いつつ#地方史誌其の一

熊子(くまご)と、出雲地方で呼ばれてきたアワのことについて、いまだ調べること多いものの、まとめていこうと思う。記録の散逸、記憶の錯誤をおそれる。できるところから少しずつ書き足していく方式をとろうと思う。

あわせて、聞き取りを再開したい。その基礎資料としてつくるものでもあるが、遠い誰かの役にたてればと書き置く。

地方史誌其の一では、島根県内でのそれを中心に集めていく。順序はまた整理するとして、まだ一度も文字に起こしていない(であろう)ものから。基本的な記載法としては、全文を抜書きした後に注釈、解釈をつけていく体裁とする。
熊子(クマゴ、くまご)の表記は段落内で引用文献とあわせ、統一はしない。続きを読む →

令和2年秋の畑

秋ももう終わろうかという時期にかかっているが、収穫など振り返りながら備忘を記していく。

◆オリゼ畑10/26の備忘
†. 小麦、大麦の播種
例年よりも1週間ほどは遅くなっていると思う。慌てて蒔いている。今日はオリゼ畑へ少々。明日明後日で蒔き終えられるか。
†. 黒大豆(赤名黒姫丸)
今年は播種期に長雨だったり、まったく降らなかったりなどの影響で、ナメクジや鳥にことごとく芽を食われてしまい、蒔き直しもしたものの、畝のなかで数株だけが生き残るような状態だった。種が少しでもとれればということで置いている。枯れて倒れるくらいのところまで置いておこうと思う。さやのなかに一粒しかないもの、そもそもさやが小さすぎて豆と呼べないふくらみのままのものなど、株全体のバランスもひどいものだが、ここからとったものでどこまで来年育てられるか。だろう。
†. サクラ豆
金木犀のまわりに高めの竿だてをしてはわせた。これはうまいやり方だったと思う。収穫まであと20日くらいか。オリゼ畑は南側が擁壁、まわりも住宅に囲まれたせまい土地ゆえ日照時間が短い。また、風が通りにくいので虫もわきやすい。これら条件の克服としては高く伸びる雑穀なり、つる性の豆をたてるというのはよい対処なのだろう。台風にやきもきしたものだが、今年は大きな風をもたらすものはなかった。
†. トマト各種
ナス科は天候条件がよくない年だったといえようか。どれもよくなくナスは種もとれてない。今年は片付けることはしないで、枯れるにまかせて畑においたままにしてみようと思う。ナスは跡地に麦を播種することもあって片付けた。
†. タカキビ
まずまずといえうようが、どうだろう。もっとまとまった面積がないと倒伏の問題をクリアーできない。アマランサス、タカキビとあわせて山の焼畑でという線だろう。

◆オリゼ畑,山畑10/27の備忘
†. 小麦、大麦の播種2日目
裸大麦を昨日に引き続き、畝を手入れした後に蒔く。擁壁側の土は水気が多いこともあってかまだまだ団粒性が低いように思う。這う草が多いのでそれらはできるだけ取り除いた。今思うに、そのままでもよかったのかもしれない。今年からのやり方として、生えている草はできるだけそのままにしておくようにしている。例外的にドクダミとスギナは除いて。畑の草も何年かで変化してきた。ようやく畑に生える草が増えてきていることもある。冬の様子、春の様子をみながらなのだが。
†. アマランサス
遅れての脱穀。一月近くたっているものが大半。日にあたっていないところの束は酸化だろうか、色が黒っぽく変わってきている。湿っぽいこともあるだろう。オリゼ畑の軒で同じく一月近く干しているものはそんなことにはなっておらず、また、前回脱穀したもののように秋深くなくかつ2〜3週間までしかたっていないものならば、状態はよい。
†. 大豆
気を少しとりなおして、山畑の白大豆でとれるものはないかと探してみた。まだ青いものヒトさやほどがついているものを残し、4莢ほどばかりを採取した。手元に残っている古い種子が5粒くらいはあったかもしれない。それらとあわせて4〜5株でも種をまければ来年、オリゼ畑に蒔いてみようと。オリゼ畑の黒大豆は毎日みていく。地面に倒れいるものは枝を土にさして少しおこしておいた。

◆オリゼ畑,11/5の備忘
†. 小麦、大麦の発芽
一昨日だったろうか、最初に蒔いたものが発芽しているのを確認した。最後に蒔いたものの記録がないが、3回目として11/2である。

◆オリゼ畑,山畑、今年を振り返って
どの作物にとっても、きびしい年だった。気候の不安定もあるが、めんどうを見きれなかったという面が大きかったと思う。
重点作物をしぼって、注力していこうと思う。次の5つ。
・アマランサス
・タカキビ
・小麦、大麦
・白大豆、黒大豆
・サクラマメ

豊後の茸作、三平がみた匹見の山々〜#1

 山を移動する職能集団の足跡を追いかけている。ここ何年か。彼らの目に、山は、森は、谷は、どう映っていたのだろう。何を食べ、どこに住み、どんな寝床で眠りにつき、目覚めたときに耳にするのはどんな音や声だったのだろう。
 説話文学、芸能など、主として文字に残されたものを「よむ」ことからのアプローチ。またそれらを含めた文献史学から確たる事実を「ひろう」ことをもって足場をつくっていくアプローチ。その記憶がある翁媼から聞取るあるいはその記録を読むアプローチ。どれをとっても心もとない。それぞれ複合するといえばよさそうにみえるのだろうが、どれも中途半端に終わるであろう先が見えてしまう。
 どうすればいいのか?
 旅を範とすればよいのだろう。地図はあるが、優先する現実はつねに目の前にある。道しるべは頼りになるが、ないところであきらめるのではなく、そこで手に入るものや既知のことなどを、自らが総合判断して、先へ進む。これから書き記す一連のものは、日記とも備忘ともとれるようなそんな記録であり、ひとつの旅なのだ。続きを読む →