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サンタクロースはどこにいるのか〜柳田國男『小さき者の声』etc.(本の話#0015)

 
「サンタクロースはどこにいるのか」と題した12月の本とスパイス。
2年前、第1回の本とスパイスで取り上げた、C.レヴィ=ストロースの『サンタクロースの秘密』、その続編でもある。とりあげるのは、柳田國男の『小さき者の声』。
並べて、交互に読んでみると、柳田とレヴィ=ストロースがとてもよく似た思考法をもって、民俗の現象(文化)の「ひみつ」にアプローチしていることがわかる。当初は対象となっている来訪神、子ども、
年の瀬の民俗、そうしたものの共通しかみていなかったので、驚きでもあった。
さて、どうなりますか。乞うご期待。
 

島根大学付属図書館にて、資料の複写と閲覧。その備忘である。

◉青木繁,1966『豊後の茸師』(富民協会出版部)…匹見に茸づくりを伝えた三平について、この文献を参照する資料をいくつか見ていた。国会図書館にもなく、大学図書館で蔵するところも少ないのだが、なぜか島大にはある。2年越しの宿題をかなえるべく、のはずだが、やや拍子抜け。そこまで詳細なものはなかった。とはいえ、生年や経歴などがはっきり記されているのは、ほかに参照している資料があるのだろう。
・筍師三平
・享和3年(1803)、現在の大分県津久見市彦之内に生まれる。天保5年から同10年まで深場官山の藩営事業場でシイタケ栽培の講習を受け、同11年から嘉永5年まで、現在の島根県津和野町匹見に居住しシイタケづくりに励んだ。

◉和歌森太郎編,1963『美作の民俗』(吉川弘文館)

島根県立図書館にて。
◆借りた本
◉佐藤洋一郎,加藤鎌司,2010『麦の自然史ー人と自然が育んだムギ農耕』(北海道大学出版局)… ムギ栽培について、とりわけ日本でのムギ栽培について知りたいのだが、あるようでないのだよねあと日頃思っていたところ、開架で見つけた。とりわけ、第13章 大田正次「日常の生活が育んだ在来コムギの品種多様性〜難脱穀性コムギの遺存的栽培と伝統的利用をめぐって」は、脱穀・籾摺り・製粉をどうしようかと思案しているスペルト小麦の利用について、資するものである。大田氏によるイラン北部、スペイン北部、中央ヨーロッパでの調査が簡潔に触れられている。20年ばかり前の調査の再録であるようだが、栽培が途絶えていない地域では、「手間だけれど」自家用につくる、主となったパン小麦よりも美味しいから、親がつくってきたから、という動機の表明があることが興味深い。日本の焼畑における在来蕎麦やカブなどと共通する。しかしあるいは、これは調査者特有の認識フレームがそういう言説を誘導するのかもしれない。
特殊な石臼で「籾」をとるというのは、この調査で出てくるどの地域でもそうだ。脱穀はイラン北部の場合は、手摘みで穂だけをとり、スペイン北部だと千歯こぎに似た刃物でとる方式。粉にしてパンにすることのほか、粒食の文化もあるというのは初見であって、ここを端緒として小麦の粒食についてもう少し掘り下げてみれそうだ。
またトリビアルではあるが、知らなったこと。欧米圏ではムギにあたる単語が存在しないということ。中国・日本独自ということなのか!? JKナレッジで簡単にあたってみるに、確かにそう。ウェブリオの翻訳では麦の英訳は、wheat, barley, oats,rye, etc.。小麦はwheat、大麦はbarley、ryeはライ麦であって、これらを総称する「麦」なる概念はないということだ。平凡社世界大百科は「〈麦〉は,日本や中国などで使用されてきた多面的な内容をもつ独特な用語で,これに相当することばは欧米にはない」としている。

◉藤原俊六郎,2013『新版・図解土壌の基礎知識』(農文協)……一度しっかり学びたいものであるものの、手につかず、借りるのは2回め。今回はとりわけグライ土について確かめるべく。

◉畠山剛,『新版縄文人の末裔たちーヒエと木の実の生活史』(彩流社)……これを手に岩手県岩泉を訪れたいと思うほどの書。のちほど加筆したいが、ご存命であれば、85歳(1933年、昭和8年生まれ)。一読後、手紙をしたためたい。

◉1994『岩波講座日本通史別巻2ー地域史研究の現状と課題』(岩波書店)……宮本常一が東北農村における土間住まいについて著している文献を参照したく検索したものだが、あきらかに違う。とはいえ、さらっとでも読んでおきたい事項が満載ゆえ借りてきた。香月洋一郎の「民俗学と地域研究」については、少々思うところもあり、改めて加筆の予定。

◆参照図書

◉『柿木村史 第2巻』……1.吉賀記について、ここまで詳述されているものをはじめてみた。資料として後日改めて複写するか、貸出されているものがあれば、そちらを。2.

 

すきとおったほんとうのたべもの〜宮沢賢治『注文の多い料理店』etc.(本の話#0014)

今日、図書館で『ソウル・ハンターズ』を借りてきた。あぁ。あぁ。ここから、言葉をつぐために数日がほしい。

松江市立図書館にて。
記録を忘れていたので改めて。

◉奥野克巳,2018『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)
◉ダニエル・L.エヴェレット『ピダハンー「言語本能」を超える文化と世界観』(屋代通子・2012訳;みすず書房)
◉栗栖健,2004『日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史』(雄山閣)

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。 
 記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

○宮本巌『摘み草手帖』での記述
 《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
 この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
 そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
 油で揚げて、ほくほくのものを食した。写真があるはずなので、のちほどあげる。

○日原町史の記述
 のちほど。
 地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

 
○椎葉クニ子
 オスとメスが年によって交互にでる。
 オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
 のちほど。

島根県立図書館にて。台風24号・チャーミーが巻き起こす風雨がしだいに強まるなかで3時間程度滞在。

柿木村誌編纂委員会,S61.『柿木村誌』自然編:宮本巌,歴史編:岩谷建三,民俗編:酒井薫美(柿木村)
現代思想2017.3月臨時増刊号,総特集「人類学の時代」(青土社)
平岩米吉,1992『新装版・狼ーその生態と歴史』(築地書館)
◉森山徹,2011『ダンゴムシに心はあるのか』(PHP)
◉岡ノ谷一夫,2010『さえずり言語起源論ー新版 小鳥の歌から人の言葉へ』(岩波書店)

ほか、あたったものをあげておく。
◆松浦章,昭和18『焼土の肥効と利用法』富民協会……一部複写
◆古長敏明,1966『大分県椎茸史』(大分県農業振興運動協議会,農振教養シリーズ;3)……一部複写

火入れの予定日が近づくにつれ、時間に空きさえあれば、そのことばかり考えることになる。「とらわれてしまう」あるいは「まよいなやむ」ともいえ、振り払うべき雑念のようだが、実際、考えねばならぬことでもある。
ひとつに、シミュレーションを何度も繰り返すこと。前提条件は多岐にわたる。雨が3日前に降った場合、2日前に少し降った場合、当日朝から北西の風2mの場合、無風だが午後から北東の風となる予報の場合、15人集まる予定が10人となった場合、次の日が雨になりそうな場合、前日の雨がひどく延期を決めた場合……、ファクターは最低でも10程度はあるのだから、いくらやってもおっつきはしない。
だが、今回ばかりはいつもにましてかなり限定的であった。
「まず燃えない」
これが大前提。
まかり間違って勢いよく=いつもどおりに燃えた場合ーーを考慮した準備をどこまでするかに、少々頭を使ったくらいなものだ。
だからこそ、余計なことを考えてしまった。とくに終わってから。
予期した範囲を少し下まわるくらいに、燃えなかった(=延焼が起きず、予定区画の2割弱を燃やした)。燃えるって何だろう、ということや、これまでの振り返りなど。
「ぜんぜん燃えてなかったね」と遠くから眺めた人がいうよりは燃えている。ちょっと写真でみてみよう。 車で通る道から眺めるとこんな具合。

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近寄ってみれば、こんな具合。

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さて、燃えるって何ということについて。
今回、11時ごろに着火して、19時くらいまでは燃やし続けているので、8時間かけている。
これが「燃えた」といえるときならば、どうなのか。
約5倍の面積と量を4時間以内で終えているだろう。
この違いはなんなのかということがひとつ。さらに敷衍するのならば、「燃える」ことの違いを「酸化反応」とあわせて、解いてみると、焼畑がなんなのかってことも、また違った面で捉えられるのかなと思った。錆びるのも燃えるのも同じ酸化であり、発生する(放出される)エネルギーも変わらないはず。
ゆっくり燃えるか、早く燃えるかの違い、なのか、どうなのか。
などなど。 ※つづく。
下の写真は時間内に燃えきらんかったので、火切りをしている様子。

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秋分の日は、山に火を入れておりました。長雨が続いておりましたので、前日は晴れていましたが、土もまだ湿ったままで、火はなかなかひろがらず、残りは来春に持ち越しとなりました。

夜遅くまで火の番をしましたので、熾火からときおり山の上に舞い上がる火の粉を、朧月夜のなか楽しみました。そこは乳牛の放牧地のなかにありますので、夜になると牛たちが思い思いの場所へちって草をはんだりねころがったりしています。出産間近の牛もいるようで、牧場主曰く「満月に近いので、今日明日に分娩するのかも」。

種も満月の日にまくものだとは古老が申します。

月の力はおそろしいものだという感受性は、山の奥辺に暮らす老いた人にはまだかすかに残っているようで、直接みるものではないが、ススキの穂ごしにみれば魔性をそいでくれるのだとかいうことを、ばあさんからきいたなどときくこともあったでしょうか。

月は農耕とかかわるようで、どうやら狩猟とのかかわりのなかに色濃くあることと、芋とのつながりも、ススキとつながるとその想念は稲のほうとむしろかかわり深いようで、まさに芋のつるのように、連なりつながるものであるよなあ、と思いました。

秋焼きの予定を週末三連休に控え、天気予報を数時間おきに確かめる日がここ数日続いている。

10日ばかり前には、今週に入って晴れの日が続くはずだったのだ。日を追って曇りマークがふえ、雨マークがふえ、じょじょに降雨の時間もふえ、予想雨量もふえ続けている。天気とはそんなものだ。人の期待や願望にそうものではない。とはいえ、一縷ののぞみたる土日の降雨だけはなんとかまぬかれているようだ。 さて、春にまいたアマランサスを先週に収穫するはずが雨でながれ、明日にやるはずだったのだが、どうやら雨になりそう。ならば、とれるもの、倒れやすそうなものだけでも今日取り込んでしまえと思い立って、急遽刈り取りました。 大きなものを6〜8本か。いちばん背の高いものをはかってみたら、2m70cmありました。でかい。

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ほか、いくつかの状況を確認したので、以下かんたんに。

◉陸稲

みてのとおり、よくない。元気がない。よい株もあるので、1ヶ月後に。

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サトイモ

焼き畑でサトイモというのは馴染みが薄い、かもしれないが、九州・四国の焼き畑ではかつてよくみられたものらしい。南方の焼畑文化の残存形態とみる有力説として、研究者には既知のことではある。それはさておき、夏の日照りにもよく生き残って、なんとか収穫できそうな感じですよ、これは。土を盛っておいたほうがよいかもしらん。三刀屋のとある農家のじいさんが地場のものをずっとつくっておられて、間接的にゆずってもらったものなのだ。うまくできたら、お返しせねば。

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◉ホンリー

小池教授の実験的栽培なのだ。赤、ピンク、黄色の彩りが美しい。まだ食べたことがないのだが、台湾キヌアと呼ばれているのだから、キヌアとしてあつかえばよいのでは、と思う。

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◉タカキビ

実の入りが悪い。そもそもが遅かったので、こうなるよね、というほどのこと。せめて秋雨がすぎて明日からでも晴天が続けばねえ。と思ってはみるのだ。

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◉モチアワ

忘れてた。鳥の存在を。そろそろ色づいてきたかなあというものから啄まれている。種取りしたいものだけでも網をかけようか。網、かう。

◉サツマイモ

2年前は、モチアワ、タカキビ、ホンリーが牛に食われて、サツマイモなどまったく口にされたものではなかったのに。今年はタカキビもホンリーも陸稲も、そちらには目もくれずにサツマイモの葉と茎がこれでもかとばかりに食われてしまった。どうして? とりあえず、こんなところ。