コンテンツへスキップ

#0009-01_本の話補遺_本居宣長と古事記「國譲り」

第9回の「本と話」は、石塚尊俊の『神去来』をとりあげ、出雲の神在祭からカラサデ婆さんまで話しを通しました。いつものことながら漏れが多く、補遺としてのテキストをあげていこうと思い立った次第がこの投稿です。

さて、すべての人文書は独立峰として存在するものではなく、山脈のひとつとして読むことが、その理解をおおいに深めてくれます。というよりむしろ、そうしなければ、「読む」ことができないものです。
11月23日にお話した中では、2年前に逝去された石塚尊俊の『神去来』を語るうえで、欠くべからざる3人の泰斗を挙げました。

本居宣長 1730(享保15)〜1801(享和元)
千家尊福  1845(弘化2)〜1918(大正7)
柳田國男 1875(明治8)〜1962(昭和37)
石塚尊俊 1917(大正7)〜2014(平成27)

この山脈を意識しつつ、個別のテーマを「補遺」として以下、展開していきます。

◉出雲大社の祭神が「大黒=大国さん」であった時代
 いまでは出雲大社のヌシは大国主命であると、メディアは報じガイドにも記されていますが、少なくとも1960年代にはそうではありません。出雲大社の神とは大国さまのことでした。NHKの新日本紀行「出雲路・神話と伝説のふるさと」(昭和39年放送)では、ダイコクサマとナレーションしています(のはず。記憶に基づくので要検証)。
 出雲国造・千家尊統が1966年に著した『出雲大社』(学生社刊)の20ページには、祭神は大国主神であるが、人々が祈る・想うのは、仏教の大黒天と中世に習合したダイコクサマであるとしています。人々の心にどっしりと根をおろしているのは、大国主神を祭る神学とは軌道が異なることを暗示しているともいえましょうぞ。

 大国主神と大国さんとの分離を最初に試みたのは、本居宣長です。『鈴屋答問録』において、栗田土方侶の問い、すなわち、大黒を大名持神(大国主命)、恵比須を事代主神(大国主命の子)とする説は信じがたいーーーに答えています。
 この二つの神を大名持神、事代主神とするのは、近年の牽強付会であろうと。

 ここで私たちは気をつけねばなりません。
 「世間では◇◇は〇〇といわれているが、本当のところ、◇◇は〇〇なのである」
 こうした説き方に、人は知らず注意を向けてしまう。
 AはBではない。AはCなのだ。
 
 大国主と大国との結びつきは、俗説というには、あまりにも深く広く複雑なものがありました。私たちが知らないか忘れてしまったその世界を、少しばかり垣間見ることは、この問題を解きほぐし面白くさせるに違いありません。いま少し道をはずれみましょう。

◉大黒信仰をひろめたもの
 出雲大社の祭神を大黒さまとしてひろめた者は御師たちです。御師とはなにか。
 伊勢神宮や冨士浅間神社の御師が有名であり、旅行代理店みたいなもの、などと会では断じてしまいましたが、そう簡単なものでもありません。

(つづく)

 

 

 

※更新履歴
2017/11/27 初回投稿

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です