ストラヴィンスキーと観世静夫と声明と〜NTS Radioによる『AKIRA』の音楽の背景

ネットラジオNTS Radioの番組リンクです。

番組では、芸能山城組組頭・山城祥二が、『AKIRA』を作曲する際に影響を受けた曲をあげています。半分ほどが芸能山城組のレパートリー。PCのブラウザではいちばん下に表示されている再生ボタンをクリックすると、全曲が視聴できる。これ、権利処理をどうしているのかが、とても興味深いし、知りたいところ。おそらく期限つき。つまり早く視聴すべし。

https://www.nts.live/shows/guests/episodes/akira-influences-w-dr-yamashiro-11th-june-2018

ウバユリ、チガヤ、ハチク

火入れから4年を経過した、通称「中山」では、植生のきわだった変化が見られる。
 今年の春の特徴を忘れぬうちに書いておこう。

 写真のウバユリは、これまでまったく見られなかったもの。種がどこから運ばれてきたのか、休眠していたものが芽生えたのか、他の植物もそうだが、とても不思議でおもしろい。

20180526-P128013602

・昨年目立ったミツマタはどこへ行ったのか、今年は開花をみなかった。
・イタドリがふえた。
・春に開花するアザミがやや減った。
・火入れ1年目には単一植生で山を占有していたアレチノギクの姿がうすい。これからなのか。ただ、昨年夏の火入れ地にはボツボツと「きゃつら」とこぼれだねからの蕎麦だけが芽を出している。

 さて、この日は、道路の脇に出ていたハチクを切ってきた。時期は遅い。多くは、背丈を超えるほどにのびている。喰えるかどうかは明日のお楽しみ。
 チガヤはここ数週間で穂に花をつけている。「シューッとぬいて」、茎の下をかじりながら吸ってみると、甘いような気がしないではない。少なくとも苦みはなく、2本、3本とかじってみるうちにくせになりそうだ。子どものおやつにはちょうどいいのではないか、これくらいの甘さが。
ジューンベリーは、最近、鳥がしつこくこなくなったせいか、人が食べるぶんもけっこう残った。毎日つまみぐいしている。とりたてがいちばんおいしい。山にたくさん植えても鳥の餌にしかならないだろうから、庭に植えて楽しむのがいいんだろう。果実が実る木をもっと世にふやしたいものだ。
 実生から育てられないものか、ちょい挑戦してみようか。ガマズミの実は今年も芽を出しそうもない。やり方をかえて、また来年チャレンジしよう。そろそろ挿し木用に山から枝をとってこなくては。

5月の「本とスパイス」

別れの言葉といえば、あなたは何を思いうかべますか?
「さようなら」
そう。
けれど、考えてみればこの言葉、日常のなかで口にすることは、ほぼありません。
「じゃあ」
「またね」
「おつかれさまでした」
ふだん使うのはこれくらいでしょうか。もう会うことはないかもーーそんな場面ではなおさら「さようなら」ではなく「じゃあ、また」を使ってみたりする。だからこそ、「別れ際にさよならなんて悲しいこと言うなよ!」と碇シンジくんは叫んだりするわけです。
一方、相手と二度と会いたくないような場面では、言葉の出る幕がない。
そんな使いづらい「さようなら」って、もともとどう使われ、どういう意味と由来をもっているのか。近世史家である髙山宗東さんの著書『お言葉でございます』をひもとけば、じつは、「さようなら」も歴史的には新しい言葉で、「それじゃあ」と同じ意味だった……と知れます。髙山さんは、そこから、ある小さな物語をはじめています。ちょっと泣ける話でもあり、そこはこの本を購って味わってみてください。
さて、5月の本とスパイスは、この本と髙山宗東さんという御伽衆を扉のようにして、「消えゆくもののために」をテーマに、みなさんを言葉のめくるめく世界へご案内します。「すべての言葉は、その場所から消えてなくなるもののためにある」。まず、この見晴らしが得られる場所へ。そして……
「さようなら」
この言葉が、みちびいてくれる、その先へ、歴史と文学と、自然科学や人類学の知見もまじえ、わけいってみたいと思います。

IMGP6636

◉テーマ:消えゆくもののために
 〜『お言葉でございます』髙山宗東
◉日 時:2018年5月25日(金)
◉開 場…18:30〜/ライブ…19:00〜20:30
(20:30〜 食事とカフェの時間。退場自由)
◉場 所:カフェオリゼ(雲南市木次町里方331−1)
◉案内人:面代真樹(「森と畑と牛と」編集人・樟舎)
◉参加費:2,500円(スリランカ・カレー/ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉問合せ・お申込は以下のいずれかで。返信をもって受付です。
❶カフェオリゼのfacebookページからメッセージを送信
❷樟舎宛FAX:0852-35-5139
❸樟舎宛メール:honto@ksnoki.org

Spice of Life @山の上音楽会2018初夏

白築純さんから、「Spice of Life」って曲があるから、こんど山の上音楽会でSpice of Lifeという名のカレーをつくって!と…………
そう言われるまで掛合の山にあるというライトハウスのことも、毎年続けられてきた山の上の音楽会のことも知らなかったのに…………これが最後だという、この音楽会でカレーを出せたことは、ありがたくうれしく少しさびしくそれでもハッピーなことでした。
聖地ともサンクチュアリともいえる山のてっぺんにひらけた小さな土地。
その一角にいつの頃からか、人が山を開き、土を耕し、家をたて、子どもが生まれ、育ち、死に、別れ、また出会いがあり、幾百年をへて明治のはじめに建った家があって、今回の音楽会はその古民家が会場でした。
大きくはないけれど決して小さくはない農家の家。そこに150人ほどの人が集まったのは、この土地開闢以来のことだったのかも、しれません、ね。
さて、そんなことをおもいながら、Spice of Lifeのことを記しておきます。この言葉、直訳すれば“人生の香辛料”となって、人生における刺激、ぐらいに捉えることが多いようですが、ノーノー、そんなわけないです。少なくとも私のなかでのSpice of Lifeは。


カフェ・オリゼでつくっているスリランカのカレーは、調理の段階では、まぜたり、煮込むことがきわめて少ない。「できるだけまぜない」方針とでもいいましょうか。そうすると、計算できないところが大きくなってしまう。煮込んでいけば、味が調い、途中で足りないものを入れたりと調整がききますが、それができない。たとえば、3分ほど強火で蒸し炊きするものなんて、一発勝負です。
やり直しのきかない人生のこと、それがSpice of Life。だからこその、ヒリヒリ、ヒヤヒヤ、ドキドキ。ボーッと生きてんじゃねえよ!
スリランカカレーの基本はひとつの食材にひとつのカレー。たとえば、ニンジンのカレー、ジャガイモのカレー、ポークのカレー、キャベツのカレー、それぞれ別々につくり、皿の上でいっしょに盛られ、口に運ぶ直前にまぜあわされるものです。だから、まったく同じカレーでも、まぜかたのちょっとした加減で、味が変わってくる。
人は、ひとりひとり、まったく違う生き方をもっている。それがSpice of Life。

そしてオリゼのスリランカカレー3つめの特徴。火を通す時間は短いのですが、スパイスの調合に手間がかかります。食材別におよそ10〜20種類のものを粗挽きしたり、パウダーにしたり、あるいはホールで使ったり、おろしショウガでペースト状にまとめたりして準備するのが大変なのですが、大変ですむならまだいい。
スパイスが3〜5種までならともかく、7種をこえると、量の加減が感性や勘に頼らざるを得ない。いや、まだ「勘」ならば、人の能力次第ともいえるのですが、もう「運命」とか「偶然」としかいいようのない世界がひろがっている。
コツコツと地に足をつけた歩みなくして充実した生はないのですが、どんな努力も必ずしも報われるわけではない。それがSpice of Life。
「山の上の音楽祭」には、ひとりひとりの違う人生が集まり、音楽ともに時を共有しました。
純さんは「さあ、これが最後の山の上音楽会です」「15年間大切に紡いできたこの自由空間来人家をクローズします」というのと同時に「終わりは始まり」「これからも、この地に豊かな音楽の種まきをしてゆくことはずっと続けてゆきますよ。ライトハウスじゃなくっても、いろんな場所で、素晴らしいミュージシャンのライブをプロデュースしてゆきますからね」と。
終わりなきもの、それは人の生なり。
動物としてのホモサピエンスには個体の生命としての終わりがありますが、人にはない。Humanbeing、人間らしく、人として生きたいという気持、それがSpice of Lifeなんじゃないかな。

◉番外
えっと、人生には終わりがあるんじゃない? そんな疑問をもたれたあなた。テッド・チャンのSF短編小説で映画にもなった「Story of your Life」を読んでみてくださいな。「終わり」とか「結果」がない世界があるということがわかります。サイエンティストが「電車の中で涙が止まらなくなった」「読み終わった夜、ベッドで寝ているわが子を抱きしめた」と語る名作です。

🎵山の上木霊は響く人々の喜びの声音楽に乗せ 山の上音楽会ファイナル! 無事に大盛況で終えることが出来ましたことを皆さまへご報告と共に、心より御礼申し上げます。。 立ち上げから15年間、本当にたくさんの皆さまに愛していただいたこの大切な場。 最後はみんなみんなの笑顔と歌声と手拍子で、素晴らしいミュージシャン達の音楽と共に一つになって結びとなりました。 もう何も悔いはありません。 さあ、次はどんなことしよう!?と、もうわくわくしています(笑) 中に入りきらず、約150名近いお客様に遠方からも(東京や九州、広島などからも!)お越しいただき、急遽外にお庭席を作り、かがり火を焚いたりと、皆さまにご不便をおかけしてしまいましたが、最後まで笑顔で見届けて頂けましたことに感謝の思いでいっぱいです。 カフェオリゼの美味しいものたち、ドマカフェのベーグル!などで、おなかもこころも満たされ、最高のトリオをお楽しみ頂けたようです。 則竹さんのドラムが生み出す、羽根の生えた様に軽やかなのに、どっしりと中心軸を感じながらいつも心地よいところに導かれるように着地できるリズムに、私はミュージシャンとして改めて、感銘を受けまくりました。 須藤さんのベースが醸し出す、お喋りしながらうねる様なグルーヴと、彼独特の温かく大きな愛に満ちた波動が、ぐいんぐいんと伝わって体の奥深くに安心の源みたいなものを感じました。 圭司くんのピアノは、もう何も言葉にしようがないほど、ただただ、歌いながら音で会話をしていました。 圭司くんありがとう、ありがとう!とわたしの細胞が喜んで踊っているのがわかって、がんが消えちゃってるかも?と思いました(笑) それくらいの深く強い力がこの人のピアノに、音楽にはあることを実感しました。。 そしてこの地で出会ってからもう五年… 大切な弟分、ギターの安田ユウイチは、私が今まで見た中で一番の、最高のプレイを聴かせてくれました。 先月パパになったこともあって、すごく大きく見えて涙が出そうでした。 敬愛する圭司さん達のトリオのフロントに立つなんて、このビビりならくだに大丈夫かっ?とずっと姉は心配していたけれど(笑)ほんと、立派なもんでした! 14年前、山の上にブルーノートを作るぞ!(笑) というくらいのきもちで、この場を開き、山陰の音楽土壌を豊かにして、いいミュージシャンを育てたい!という、おこがましくも強い思いで続けてきたこと、がすべてかたちに見えた夜でした。 ドラムの機材サポートをしてくれた松尾圭司も、全体の機材サポートをにこにこかってでてくれたベースのとじーも、そして大変な状況での音響にレコーディングまで!お願いしてしまった西村さんにも… 様々なお手伝いをして頂いた強力な協力スタッフの皆さんにも、もうほんとに頭が上がりません。。。 何よりもみんなみんなの笑顔が、この日最高のギフトでした。 この築約百年の古民家、自由空間来人家も、喜んでいるのがよーーくわかりました。。 ご先祖さま、ありがとう!!(笑) これまで支えて下さった地域の皆さま、仲間たち、家族、最高のミュージシャンとスタッフの皆さん、温かいお客様、すべての皆さまに、御礼申し上げます。 これからも、ライトハウス同様、白築純の音楽を、そして今後プロデュースしてゆく音楽会やイベントも、どうぞよろしくお願いいたします。 さて、元気になってまだまだやることいっぱいです。 欲張らずにひとつずつ、ゆっくりしっかり身体を治して、この地で音楽を通した笑顔の連鎖をつなぎ続けてゆきたいな、と思います。 ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに… ありがとうございました🎵 またね♥

Jun Shiratsukiさん(@junshiratsuki)がシェアした投稿 –

#0009-01_本の話補遺_本居宣長と古事記「國譲り」

第9回の「本と話」は、石塚尊俊の『神去来』をとりあげ、出雲の神在祭からカラサデ婆さんまで話しを通しました。いつものことながら漏れが多く、補遺としてのテキストをあげていこうと思い立った次第がこの投稿です。

さて、すべての人文書は独立峰として存在するものではなく、山脈のひとつとして読むことが、その理解をおおいに深めてくれます。というよりむしろ、そうしなければ、「読む」ことができないものです。
11月23日にお話した中では、2年前に逝去された石塚尊俊の『神去来』を語るうえで、欠くべからざる3人を挙げました。

本居宣長 1730(享保15)〜1801(享和元)
千家尊福  1845(弘化2)〜1918(大正7)
柳田國男 1875(明治8)〜1962(昭和37)
そして、
石塚尊俊 1917(大正7)〜2014(平成27)

この山脈を意識しつつ、個別のテーマを「補遺」として以下、展開していきます。

◉出雲大社の祭神が「大黒=大国さん」であった時代
いまでは出雲大社のヌシは大国主命であると、メディアは報じガイドにも記されていますが、少なくとも1960年代にはそうではありません。出雲大社の神とは大国さまのことでした。NHKの新日本紀行「出雲路・神話と伝説のふるさと」(昭和39年放送)では、ダイコクサマとナレーションしています(のはず。記憶に基づくので要検証)。
出雲国造・千家尊統が1966年に著した『出雲大社』(学生社刊)の20ページには、祭神は大国主神であるが、人々が祈る・想うのは、仏教の大黒天と中世に習合したダイコクサマであるとしています。人々の心にどっしりと根をおろしているのは、大国主神を祭る神学とは軌道が異なることを暗示しているともいえましょうぞ。

大国主神と大国さんとの分離を最初に試みたのは、本居宣長です。『鈴屋答問録』において、栗田土方侶の問い、すなわち、大黒を大名持神(大国主命)、恵比須を事代主神(大国主命の子)とする説は信じがたいーーーに答えています。
この二つの神を大名持神、事代主神とするのは、近年の牽強付会であろうと。

ここで私たちは気をつけねばなりません。
「世間では◇◇は〇〇といわれているが、本当のところ、◇◇は〇〇なのである」
こうした説き方に、人は知らず注意を向けてしまう。
AはBではない。AはCなのだ。

大国主と大国との結びつきは、俗説というには、あまりにも深く広く複雑なものがありました。私たちが知らないか忘れてしまったその世界を、少しばかり垣間見ることは、この問題を解きほぐし面白くさせるに違いありません。いま少し道をはずれみましょう。

◉大黒信仰をひろめたもの
出雲大社の祭神を大黒さまとしてひろめた者は御師たちです。御師とはなにか。
伊勢神宮や冨士浅間神社の御師が有名であり、旅行代理店みたいなもの、などと会では断じてしまいましたが、そう簡単なものでもありません。

(つづく)

※更新履歴
2017/11/27 初回投稿