9月23日秋の火入れ雑感

秋分の日は、山に火を入れておりました。長雨が続いておりましたので、前日は晴れていましたが、土もまだ湿ったままで、火はなかなかひろがらず、残りは来春に持ち越しとなりました。

夜遅くまで火の番をしましたので、熾火からときおり山の上に舞い上がる火の粉を、朧月夜のなか楽しみました。そこは乳牛の放牧地のなかにありますので、夜になると牛たちが思い思いの場所へちって草をはんだりねころがったりしています。出産間近の牛もいるようで、牧場主曰く「満月に近いので、今日明日に分娩するのかも」。

種も満月の日にまくものだとは古老が申します。

月の力はおそろしいものだという感受性は、山の奥辺に暮らす老いた人にはまだかすかに残っているようで、直接みるものではないが、ススキの穂ごしにみれば魔性をそいでくれるのだとかいうことを、ばあさんからきいたなどときくこともあったでしょうか。

月は農耕とかかわるようで、どうやら狩猟とのかかわりのなかに色濃くあることと、芋とのつながりも、ススキとつながるとその想念は稲のほうとむしろかかわり深いようで、まさに芋のつるのように、連なりつながるものであるよなあ、と思いました。

本の記録〜2018年9月17日

松江市立中央図書館にて。

オオカミ関連と椎葉クニ子さんの著作を借りるべく。

◉大橋昌人『信州のオオカミ(山犬)ー伝承と歴史』2018,ほおずき書籍
◉ショーン・エリス,ペニー・ジェーノ『狼の群れと暮らした男』小牟田康彦・訳,2012,築地書館(2009,THE MAN WHO LIVES WITH WOLVES)
◉栗栖健『日本人とオオカミー世界でも特異なその関係と歴史』2004,雄山閣
◉千葉徳爾『オオカミはなぜ消えたかー日本人と獣の話』1995,新人物往来社
◉小倉美惠子『オオカミの護符』2011,新潮社
◉佐々木章・椎葉クニ子『おばあさんの山里日記』1998,葦書房
◉斉藤政美・椎葉クニ子『おばあさんの植物図鑑』1995,葦書房
◉ダニエル・L・エヴェレット『ピダハンー「言語能力」を超える文化と世界観』2012,みすず書房(2008, DON’T SLEEP, THERE ARE SNAKES – Life and Language in the Amazonian Jungle)

大橋の『信州のオオカミ』は2018年2月に刊行された新しい本。これまでこうしたまとめはなかったようで、資料として貴重。「のどに刺さった骨を取る」話は、送り狼と比べればはるかに少ないが、ふたつみっつは記録があることがわかる。日原村聞書にあるものとはバリアントは異なるし、六日市で田中幾太郎氏が採取した「足の裏にささったうさぎの骨のトゲをとる」というものともいくばくかの違いはあるが、「ささったトゲをとってやる」→「お礼のものか行為が差し出される」という図は同じ。のちほど整理してみたい。話すということ、コミュニケーションということにフォーカスして何が見えてくるか、である。

千葉の『オオカミはなぜ消えたか』は、オオカミというより獣全般について。

『狼の群れと暮らした男』は以前、県立LIB.で借りたものの読めずにいたもの。そうだった。筆者はキツネとの交歓のなかで狼と”暮らす”土台を得ていたともとれるのだった。

そんなこんなで、とまらないので、また加筆できたらする。

借りた本の備忘としての役割は最低限果たしておきたい。

「九州・宮崎、椎葉家の食卓」より

 季刊銀花の第百二十三号、2000年秋の号は特集に「野菜めぐり」をあてている。加賀の丸芋に太胡瓜、新潟の黒崎茶豆、福井の蛙瓜、そして山形・一霞の温海カブなど、美しい写真群に目を奪われたのか、見逃していたのが椎葉クニ子さんに取材した標題の記事だ。

 江口司さんの取材・文、広野司さんが絵をつけている。

 書き留めて、ここから考えるべき事柄がたくさんあるのだが、ひとつひとつあげて、書き足していこうと思う。

 まず、本文には言及がなく、イラスト(絵)のみであるものに、母子草がある。

◉母子草のこと

 どういう利用をされていたのかが大変気になるし、確かめておくべきことである。著作のなかにあるのではなかろうか。県立Lib.で調べてみよう。場合によってはご本人に聞いておきたい。

 刮目すべきは、母子草の呼び名を「ネバブツ」とふっているところ。ハハコグサを草餅の材としてもちいるときに、とても粘りがあるので、香りよりもこのねばりを活かすためによく使ったのではないかと推定しているのだが、一証左としてもっと突っ込んでみたいところ。

 また、「ネバ」がねばりとは限らない。ネバブツという語彙そのものが、JKナレッジ所収の辞典類、ウェブ検索ではまったく見当たらない。クニ子さんの造語という可能性もある。

焼畑における3年目の小豆、4年目の大豆

 江口さんが聞いたクニ子さんの言葉をそのまま引用してみる。

《焼き畑で、いちばんたくさん雑草の生える年は三年目ですよ。この年は、焼き畑に牛を追い込んでも見つからないぐらいに雑草が生えるですよ。四年目になると、今度は土の地力を、作物や雑草が収奪してしまうのじゃろうか、草もあまり生えなくなる。それで、三年目になぜ小豆を播くかというと、小豆は偉い植物ですよ。小豆が芽を出すとき、二葉を合わせたままで、「ネコブク(藁製の厚い敷物)八枚刺し通す」というて、それぐらい発芽力があるとよ。小豆をまいて、その上に雑草がいっぱい生えて、草取りをして、それを上にかぶせとっても、小豆の二葉はそれを押しのけて目を出すの。かえってその雑草をコヤシにして育つ》

 大豆はというと、芽を出すときに語るっちゃいう。大豆は芽を出すとき、二葉を大きく開いて、覆いかぶさる雑草(枯枝)の材木を、どうして持ち上げようか……と、大豆は悩むそうな。それで地力の落ちた雑草も生えんようになった四年目に大豆を植えるんですよ。逆は絶対にダメですよ》

 

◉ウバユリの利用について

 焼畑として利用せず、樹木の伐採もしない椎葉家の裏山は「たて山」と称する。そして、「そんな森の中には山百合(ウバユリ)がいたるところに自生していて」とある。球根をご飯にまぜて炊く、囲炉裏(ゆるり)の灰のなかで焼いたりして食べるのだというが、「いたるところに自生」というのがたて山のような陽のささない森のなかで、どうしてなのかと訝しい。自生する場所は限られていると思うのだが如何。

西石見のニホンオオカミ

大庭良美『石見日原村聞書』のなかに、オオカミの言葉を聞いた人の話が出てくる。
一見したときには驚き興奮した。動物がはっきり言葉をしゃべるのは、童話・民話の中での話である。狩猟採集の民のなかには動物と話ができる、動物が話すということが調査のなかでは出てくるのだが、日本ではそういう話はきかない。いや、どうだろう、そういう意識で見聞したことがないから、気が付かないだけなのかもしれない。中世の仏教説話集をひろい読んでみようかと思っていた矢先のことだった。
さて、件の聞書。興奮がややさめて平静をとりもどしたところで、よく読めば、「〜といって啼きました」と記してある。
一方で、あぁそういうことなのかと思うこともある。
まずはあげてみよう。
話者は村上仲蔵さん。昭和14年10月、92歳のときの聞書である。

《小滝のさねうじという家へは狼が庭(カド)へ来たことがありました。そうして啼きました。魚の骨がのどへかかって痛いから掘り出してくれといって啼きました。骨を出してやるとその翌日にはどこで捕ったものやら魚を持って礼にきたそうです。狼というものは義理がたいもので、悪い者にはかまうがそうでなければ人にかまうものではありません。悪い者にはひどいもので、ここでも新墓を掘ったり引こじり上げて食うたりしたことがありますが、やっぱり悪い者へします》

村上さんは、「私が十一、二の頃に一度狼を見たことがあります」という人だ。遠くからではない間近で見ている。「狼は一度起きて身ぶるいをして寝返りをしましたが、その時のってあくびをしました。その口がとても大きなもので(後略)」というように。
このように、狼が口の中の骨あるいはトゲをとってくれと頼み、とってくれたお礼をするというお話は、説話・民話のなかでしばしば展開される「パターン(定型)」であるとみて、「動物報恩譚」と称される。狼はなかでも頻出するもので「狼報恩」とカテゴライズ(分類)される。事例が多いということでもある。ただ、多いとはいえ、それほど普遍化してすませられるものかどうかに、やや疑問が残る。
試しにいくつか事例を集めてみよう。
先の日原の南に位置する六日市にはこんな話がある。

 《「大昔のオオカミは、人や家畜に危害を加えるようなことは、めったになかったと聞いとる。むしろ恩義を知る偉い獣で、九郎原に伝わる話じゃが、ある家で夜中にオオカミが勝手口に現れて悲しい声で鳴くんで、戸を開けて足を見てやると、食べたウサギの骨が足の裏に刺さっていたので、抜いてやった。次の晩、そのオオカミがウサギをくわえてきて、勝手口に置いていったちゅうことじゃ。
明治になってから本当にあったことじゃが、九郎原の民家の牛んだや(牛小屋)に、はぐれもののオオカミが忍び込み、牛が騒ぐんで、主人が気づき、槍で突き殺したちゅうて聞いとる。どうも、明治になってから、急に”悪者”のオオカミに変わってきたようじゃのお」》

田中幾太郎『いのちの森ー西中国山地』1995,光陽出版 による。
田中氏は、この話を六日市町九郎原の山本久米太郎(1978年に95歳で没)氏から聞いたこととして記している。

※続く

本の記録〜2018年9月13日

秋雨。長い。地面がかわくことなく曇りと雨と束の間の晴れ間が続いている。
今日は松江行。久しぶりに湖北線を通った。曇った空ときれいにないだ鈍色の湖面が気持ちよかった。県立図書館は午後3時過ぎから3時間半ほどの滞在。
閲覧したもので記憶に残っているものを急ぎ記す。
◉『大東の食事(だったか、なんだったか)』→貸出可の郷土資料にあった。複写待ちの間に書架をみていたら、「あれっ」と。ふらまい、たいしこ、などの項目を斜め読み。たいしこが出てくるのは塩田地区のみか。「名前の由来はわからない。昭和3年頃まではやっていた。11月下旬頃に団子をつくった」などと記されていた。阿井で残っていた時代はもっとくだるのではないか。
◉『人と動物の人類学ーシリーズ来たるべき人類学』奥野克巳/編著、2012、春風社
→禁帯本・郷土資料開架。なぜ郷土資料にあるのかといえば、隠岐の島の民俗調査の記録があるから。期待していたものはなし。問題の整理をしてみました的なものか。
◉『消えゆく六日市の野生動物』田中幾太郎、1982、田中幾太郎
→禁帯本・郷土資料開架。『郷土石見』に掲載されているものと同じか。どちらが先かがわからないが、ほぼ同時期のはず。
ツキノワグマの項目の一部(p.114〜131)とオオカミの項目(p.155〜159)を複写した。
『郷土石見』第1号〜3号/第4〜6号/第7〜9号/第9〜14号/第15〜20号
バックナンバーを合冊したもので閉架にあるものをざっとみた。
椎茸の栽培、とりわけ広見の三平にまつわることがあればとみてみた。参考資料として下記の『石見物語』があげられていたので、参照するも、見当たらず。
『豊後の茸師 : シイタケづくり名人記』 青木繁著,1966.2 ,大阪 : 富民協会島根大学付属図書館にあるようなので、行ってみる。
『椎茸の作り方』永井行夫 著,1952 , 朝倉書店 (農業百科文庫 ; 第19) 。これは国立国会図書館/図書館送信参加館内公開となっているので、次回の県立図書館で見てみよう。
◉その他雑記
†.民話「水とめの桃」の出処を確かめる
まんが日本昔話のデータベースには、原書が「仁多郡誌」と明記。確か木次町図書館にもあったのでと、今回はほかからせめてみるも、みあたらず。はてさて。
†.吉賀記については、文化年間に編纂されたものだとの記載が、復刻資料にあり。次回より詳細に確かめておこう。
さて、ようやく本題。今回借りた本。5冊です。
田中幾太郎『いのちの森ー西中国山地』1995,光陽出版社
木村晩翠『随筆石見物語』昭和57復刻,河内八幡宮式年大祭奉賛会(昭和7年刊と昭和25年刊の続編との合冊)
メアリアン・ウルフ著,小松淳子訳『プルーストとイカー読書は脳をどのように変えるのか?』2008,インターシフト
森 徹『ダンゴムシに心はあるのか』2011,PHPサイエンス・ワールド新書(グーグルプレビューで立ち読み)
日原町『日原町史・下巻』昭和39
田中幾太郎氏の『いのちの森ー西中国山地』は改訂復刻すべきと考える一冊。
ツキノワグマが滅びるとき島根もまた死ぬだろう〜田中幾太郎『いのちの森 西中国山地』#001
忘れられた高津川のアユ〜田中幾太郎『いのちの森 中国山地』#002
このときからとまっているので、もう一度時計を動かしてみる。