本の記録〜2019年8月10日

県立図書館にて借りる。
†.  1996第2版『傘―和傘・パラソル・アンブレラ』(LIXIL出版)
†.  田尻祐一郎,2011『江戸の思想史―人物・方法・連環』(中公新書)
†.  岩田規久男,2005『日本経済を学ぶ』(ちくま新書)
†.  岩田規久男,2018『日銀日記』(筑摩書房)
†.  沖本常吉編,昭和39『日原町史 上巻』(日原町教育委員会)
†.  子安宣邦編,2011『ブックガイドシリーズ基本の30冊 日本思想史』(人文書院)

誰が考えることなのか

焼畑5年目の山の緑。年に一度の草刈りと牛がときどきあがること、それらのバランスが整った場所だとこうしたつる性の多様な植生と種々の低灌木の幼樹が土を肥やしながら、次なる奪還者の到来を準備するのだろう。しかし、他の場所ではヨモギとセイタカアワダチソウが少しずつ裾から上へとその版図をひろげつつあり、どうしたものかと、梅雨の霧雨のなか、佇み考えてみた。いまのうちに抜き去るか、何か他の手立てを講じてみるか、何もせずに「自然」に委ねるか。あぁ、それにしても、雨がうれしい。

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それは「山」が考えることですから。
と、この山をみている庭師がいたのなら、私に言うのかもしれない。

木は痛みを感じるのか〜side story#1

人に見捨てられ、荒れた地に、のたうちまわるような枝をのばして生きる梅の木。殺伐として見えるものですが、そうした梅がつける実には強い力が宿るのだと、そういう人もいます。そうした梅は人が植えたものかもしれませんが、人の力で育つものではありません。土と微生物、降り注ぐ陽の光や大地と大気の循環のなかから降り注ぐ雨水、多種多様なミネラルや有機物を含んだ水、受粉を手助けする風や虫たち……。そのなかで人がしているのはどれほどのことか。みようによっては自分勝手に、もっととりやすいように、もっと実がなるように、勝手に切ったり、肥料をやったり、薬をまいたりするだけ。見捨てられた梅の木は、そんな人のわがままから自由になり「本来の」自然のチカラを取り戻す?のでしょうか……。そんな簡単なことが起こっているのでは、たぶん、ないのだと、このごろ、考えるようになりました。そんなお話につながることを少しばかり。

昨日、自宅兼カフェの小さな家の、これまた小さな庭に百年以上は生きてきたであろう松の手入れに、庭師さんがやってこられました。かれこれ五年お世話になっています。もともと病気がちな松だったのですが、手入れをしてもらうたびに元気になっていました。しかし昨年あたりから少し調子が悪く心配していたのです。天候もあるでしょうしこの地域で流行っている病気もあるでしょうけれど。他の家では薬や肥料を使ったりされているようですが、ことこの流行病についてはどうやらこれという薬もないようですし、なるべくそうしたものは使わずにすませるにこしたことはありません。

庭の土中環境もたぶん、だんだんよくなっているはずで、五年前はひどかった虫食いもだんだんと少なくなり、今年はようやくバラがたくさんの花を咲かせたりしたものです。松のまわりで気になっていたのは、苔がふえていることで、水がたまりがちなのか、通水性通気性が悪くなっているようでもあります。そうした循環を促すように、浅い穴をいくつかほって炭をいれてもらいました。

さて、松の手入れが終わって、次に大きなシマトネリコの木のことを相談したときのこと。なるほど〜、へえ〜、っということばかりで感心することばかり(いつもですが)ですが、そのやりとりのひとつをあげておきます。

私 「そういえば、木の根が表に出てきているのですが、土をかぶせたほうがよいのでしょうか」
庭師「いや、そのままで。(この環境のなかで)根をどうのばすか……それはこの木が考えることですから」

そして、《もし人が土をかぶせたら、木は間違えるかもしれない》…そういうことを続けておっしゃっいました。

生きようとしているものたちが、何を感じ、考え、動くのか。言葉をもたないもの(もっているものでも)に対して、人がとるべき態度というものを示していように思う。

…つづく。

本の記録〜2019年6月13日

木次図書館で借りたものなど。6月15日に返却予定(上2冊は他館:島根大学付属のものゆえ厳守)。
†. 高取正男,昭和57『民間信仰史の研究』(法蔵館)
†. 千葉徳爾,昭和46『続狩猟伝承研究』(風間書房)
†. 大林太良,1992『正月の来た道』(小学館)

ほんの記録〜2019年4月26日

島根県立図書館にて
†1. 佐々木高明,2006『山の神と日本人』(洋泉社)
†2. 飯嶋和一,2015『狗賓童子の島』(小学館)
†3. 谷川健一編,1996『日本民俗文化資料集成24 子供の民族誌』(三一書房)
†4. 保立道久,2013『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』(講談社学術文庫)
†5. 自然農法国際研究開発センター編,2016『これならできる!自家採種コツのコツ』(農文協)
†6. 谷川健一編,1995『日本民俗文化資料集成21 森の神の民族誌』(三一書房)
†7. 西宮一民,平成2『上代祭祀と言語』(桜楓社)
†6. 坪井洋文,1989『神道的神と民俗的神』(未来社)

以上が借りて帰ったもの。ただし†6〜†8は後日、5月4日に借りた。
†1.は、大山あがりの原稿の参考資料として。
†2.は、9月以降の本とスパイスでとりあげるべく、まずはさわりだけでもと借りたもの。
†3.は、リストにあったので、書庫より出しもらったものだが、はて、何を調べたかったのか。子供の遊びについての資料が多く採録されているのだが、そのなかのなにかだろうか。少々迷ったが、巻頭の写真に興味をそそられ持ち帰ることにした。たとえば秩父のひなげー、子供たちの顔だちのなんと凛々しく目の力の強いことか。
持ち帰って後、24巻ではなく21巻を求めていたのだった。「森の神の民族誌」のほうである。
†4. 第3章にあてられた論文「巨柱神話と天道花ー日本中世の氏神祭りと農事暦」を読むため。これも大山あがりの参考資料としてのものだが、それはタイトル後者の天道花についてであって、天道花と巨柱神話、世界樹のテーマとの結びつきのなかで展開されるとなれば、かなりの大風呂敷となるのだが、そこは歴史学の泰斗らしく要のおさえかたが適確丁寧で問題をとらえやすく、これは要熟読。
†5. 書名は軽いものだが、自然農法国際研究開発センターの編らしく、ていねいにつくられている。

さて、1時間半ほどしかなかったがリサーチは、新聞記事データベースから「山あがり」「大山さん」の記事を探すべくあたりをつけること。
聞蔵にしても戦前のものはサービス対象外で検索できず。マイクロフィルムであたってみてはという助言もいただくが、こりゃ時間がないとできんね。