令和6年のだくだく

トシがあらたまるという。年取りとも言ったものだが、わかる人も少ない。使うひととなると、もはやいないと言っていい。年取り魚、年取り膳、そんな断片的なもののなかに残っていはいるし、年取り儀礼瓦解後の残存として、畑から出てきた土器破片のようなものとして、復元は試みられてもいる。が、しかし、生きたものではない。遺骨から故人の生き様を思うようなものだ。

もっと近くへ行きたいのだ。トシトリという言葉がまだ息吹をもって生きていた時空へと自分をすべりこませてみたい。いま70代〜80代のお年寄りが、小さい頃におばあさんに聞いた言葉の中にはまだ生きていたようだ。明治の時代である。「◯◯ちゃんも、もうすぐトシを取るんだねえ」。大晦日の寒い日に、抱き寄せられるようにして語られた言葉を、しみじみと思い出す方の言葉をきいた。めでたく、ありがたく、あたたかく、来し方と行く方が交錯する幾ばくかの不安に囲まれたなかにあっての安堵。守られた安堵の空間にいるほのかな喜ばしさ。そんな肌ざわりのある言葉だった。

トシトリとはなんだったのか。いまも諦めきれずに少しずつ手掛かりを集めているから、歳の変わり目に思い出すのである。いまだとて、言葉は失われても何かが生きてはいる。その本質(nature,ピュシス)はそう簡単に死にはしない。

仕事は休みに入り、多くの働く場は1月1日には休みとなる。年越し蕎麦を食べる。餅をついて準備をする。正月飾りを用意する。門松をたてる。親族が生家に集う。除夜の鐘がつかれる。お節料理を用意する。初詣がある。

非日常を迎えるなんとはなしの喜びのようなものはある。が、そのなかにあって、トシトリの本質として私がとらえようとしているもの、「あぁ」と感じられるものはないのだ。それは個。「ひとりひとり」。お餅はそのひとつであった。家庭の食事、間食も含めてふだんは一緒に食べるか、いつ食べるかどれくらいもらえるかは、主婦の裁量であった。お餅だけは違った。もらったものをいつ食べてもよかった。お腹いっぱいに一度に食べてもよいし、ひとつずつ大事に長く食べてもよい。そういう食べ方を可能にする形態である。神にも精霊にも悪霊にだって、それは供された。飼牛にも路傍の神にも。鍬、鎌といった道具にも供えられた。みなが一様に一度にトシをとるものだったが、同時にそれはひとりひとり、ひとつひとつ、でなければならなかった。

いわゆる西洋近代の自我とは異なる「個」として、それは考えられはしない。高取正男を読み直しながら、もういちど辿ってみようと思う。『民俗のこころ』がちくま学芸文庫に入って出された。書店で手にとってみたが、どうもしっくりこない。高値になっていた全集2巻のものか、朝日新聞社刊のものが安くなったら、手に入れようと思う。

さて、1月1日。トシがあらたまって、我が家とともにあるcafe A. oryzaeでは糀づくりがはじまり、はりつめた時を迎えた。A. oryzae、コウジカビ。カビはいまや忌むものとなってしまっているが、かつてはそうでない。年取りをもって迎える糀づくりはその起源へと船を漕ぎ出すことのうようだ。カビの語源は牙=芽であり、宇摩志阿斯訶備比古遅神の修辞である葦牙の如く萌え騰る―なるものにみられるように、見えぬものが見えるものとなって現れることへの驚きと畏怖と喜びへといざなってくれよう。

カビがみごとに米についてくれることを、米の花と書いて糀=こうじとよむ。プロセスを胚胎したその言葉には、そうならぬことへの畏れとなることへの願いと、なった安堵と喜びとがある。新年にあたって、すべてめでたきことと思う。

cafe A. oryzaeと同じく我が家の一角たる樟舎では、「だくだく」という落語にあやかり、本年も令和元年から5年のつもり。いっそ嘉永5年でもよい。時を翔ける凡夫になったつもり。こちらもまためでたいことで。

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