白築純さんから、「Spice of Life」って曲があるから、こんど山の上音楽会でSpice of Lifeという名のカレーをつくって!と…………
そう言われるまで掛合の山にあるというライトハウスのことも、毎年続けられてきた山の上の音楽会のことも知らなかったのに…………これが最後だという、この音楽会でカレーを出せたことは、ありがたくうれしく少しさびしくそれでもハッピーなことでした。
聖地ともサンクチュアリともいえる山のてっぺんにひらけた小さな土地。
その一角にいつの頃からか、人が山を開き、土を耕し、家をたて、子どもが生まれ、育ち、死に、別れ、また出会いがあり、幾百年をへて明治のはじめに建った家があって、今回の音楽会はその古民家が会場でした。
大きくはないけれど決して小さくはない農家の家。そこに150人ほどの人が集まったのは、この土地開闢以来のことだったのかも、しれません、ね。
さて、そんなことをおもいながら、Spice of Lifeのことを記しておきます。この言葉、直訳すれば“人生の香辛料”となって、人生における刺激、ぐらいに捉えることが多いようですが、ノーノー、そんなわけないです。少なくとも私のなかでのSpice of Lifeは。
カフェ・オリゼでつくっているスリランカのカレーは、調理の段階では、まぜたり、煮込むことがきわめて少ない。「できるだけまぜない」方針とでもいいましょうか。そうすると、計算できないところが大きくなってしまう。煮込んでいけば、味が調い、途中で足りないものを入れたりと調整がききますが、それができない。たとえば、3分ほど強火で蒸し炊きするものなんて、一発勝負です。
やり直しのきかない人生のこと、それがSpice of Life。だからこその、ヒリヒリ、ヒヤヒヤ、ドキドキ。ボーッと生きてんじゃねえよ!
スリランカカレーの基本はひとつの食材にひとつのカレー。たとえば、ニンジンのカレー、ジャガイモのカレー、ポークのカレー、キャベツのカレー、それぞれ別々につくり、皿の上でいっしょに盛られ、口に運ぶ直前にまぜあわされるものです。だから、まったく同じカレーでも、まぜかたのちょっとした加減で、味が変わってくる。
人は、ひとりひとり、まったく違う生き方をもっている。それがSpice of Life。
そしてオリゼのスリランカカレー3つめの特徴。火を通す時間は短いのですが、スパイスの調合に手間がかかります。食材別におよそ10〜20種類のものを粗挽きしたり、パウダーにしたり、あるいはホールで使ったり、おろしショウガでペースト状にまとめたりして準備するのが大変なのですが、大変ですむならまだいい。
スパイスが3〜5種までならともかく、7種をこえると、量の加減が感性や勘に頼らざるを得ない。いや、まだ「勘」ならば、人の能力次第ともいえるのですが、もう「運命」とか「偶然」としかいいようのない世界がひろがっている。
コツコツと地に足をつけた歩みなくして充実した生はないのですが、どんな努力も必ずしも報われるわけではない。それがSpice of Life。
「山の上の音楽祭」には、ひとりひとりの違う人生が集まり、音楽ともに時を共有しました。
純さんは「さあ、これが最後の山の上音楽会です」「15年間大切に紡いできたこの自由空間来人家をクローズします」というのと同時に「終わりは始まり」「これからも、この地に豊かな音楽の種まきをしてゆくことはずっと続けてゆきますよ。ライトハウスじゃなくっても、いろんな場所で、素晴らしいミュージシャンのライブをプロデュースしてゆきますからね」と。
終わりなきもの、それは人の生なり。
動物としてのホモサピエンスには個体の生命としての終わりがありますが、人にはない。Humanbeing、人間らしく、人として生きたいという気持、それがSpice of Lifeなんじゃないかな。
◉番外
えっと、人生には終わりがあるんじゃない? そんな疑問をもたれたあなた。テッド・チャンのSF短編小説で映画にもなった「Story of your Life」を読んでみてくださいな。「終わり」とか「結果」がない世界があるということがわかります。サイエンティストが「電車の中で涙が止まらなくなった」「読み終わった夜、ベッドで寝ているわが子を抱きしめた」と語る名作です。