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 季刊銀花の第百二十三号、2000年秋の号は特集に「野菜めぐり」をあてている。加賀の丸芋に太胡瓜、新潟の黒崎茶豆、福井の蛙瓜、そして山形・一霞の温海カブなど、美しい写真群に目を奪われたのか、見逃していたのが椎葉クニ子さんに取材した標題の記事だ。

 江口司さんの取材・文、広野司さんが絵をつけている。

 書き留めて、ここから考えるべき事柄がたくさんあるのだが、ひとつひとつあげて、書き足していこうと思う。

 まず、本文には言及がなく、イラスト(絵)のみであるものに、母子草がある。

◉母子草のこと

 どういう利用をされていたのかが大変気になるし、確かめておくべきことである。著作のなかにあるのではなかろうか。県立Lib.で調べてみよう。場合によってはご本人に聞いておきたい。

 刮目すべきは、母子草の呼び名を「ネバブツ」とふっているところ。ハハコグサを草餅の材としてもちいるときに、とても粘りがあるので、香りよりもこのねばりを活かすためによく使ったのではないかと推定しているのだが、一証左としてもっと突っ込んでみたいところ。

 また、「ネバ」がねばりとは限らない。ネバブツという語彙そのものが、JKナレッジ所収の辞典類、ウェブ検索ではまったく見当たらない。クニ子さんの造語という可能性もある。

焼畑における3年目の小豆、4年目の大豆

 江口さんが聞いたクニ子さんの言葉をそのまま引用してみる。

《焼き畑で、いちばんたくさん雑草の生える年は三年目ですよ。この年は、焼き畑に牛を追い込んでも見つからないぐらいに雑草が生えるですよ。四年目になると、今度は土の地力を、作物や雑草が収奪してしまうのじゃろうか、草もあまり生えなくなる。それで、三年目になぜ小豆を播くかというと、小豆は偉い植物ですよ。小豆が芽を出すとき、二葉を合わせたままで、「ネコブク(藁製の厚い敷物)八枚刺し通す」というて、それぐらい発芽力があるとよ。小豆をまいて、その上に雑草がいっぱい生えて、草取りをして、それを上にかぶせとっても、小豆の二葉はそれを押しのけて目を出すの。かえってその雑草をコヤシにして育つ》

 大豆はというと、芽を出すときに語るっちゃいう。大豆は芽を出すとき、二葉を大きく開いて、覆いかぶさる雑草(枯枝)の材木を、どうして持ち上げようか……と、大豆は悩むそうな。それで地力の落ちた雑草も生えんようになった四年目に大豆を植えるんですよ。逆は絶対にダメですよ》

 

◉ウバユリの利用について

 焼畑として利用せず、樹木の伐採もしない椎葉家の裏山は「たて山」と称する。そして、「そんな森の中には山百合(ウバユリ)がいたるところに自生していて」とある。球根をご飯にまぜて炊く、囲炉裏(ゆるり)の灰のなかで焼いたりして食べるのだというが、「いたるところに自生」というのがたて山のような陽のささない森のなかで、どうしてなのかと訝しい。自生する場所は限られていると思うのだが如何。

大庭良美『石見日原村聞書』のなかに、オオカミの言葉を聞いた人の話が出てくる。

一見したときには驚き興奮した。動物がはっきり言葉をしゃべるのは、童話・民話の中での話である。狩猟採集の民のなかには動物と話ができる、動物が話すということが調査のなかでは出てくるのだが、日本ではそういう話はきかない。いや、どうだろう、そういう意識で見聞したことがないから、気が付かないだけなのかもしれない。中世の仏教説話集をひろい読んでみようかと思っていた矢先のことだった。

さて、件の聞書。興奮がややさめて平静をとりもどしたところで、よく読めば、「〜といって啼きました」と記してある。

一方で、あぁそういうことなのかと思うこともある。

まずはあげてみよう。

話者は村上仲蔵さん。昭和14年10月、92歳のときの聞書である。

《小滝のさねうじという家へは狼が庭(カド)へ来たことがありました。そうして啼きました。魚の骨がのどへかかって痛いから掘り出してくれといって啼きました。骨を出してやるとその翌日にはどこで捕ったものやら魚を持って礼にきたそうです。狼というものは義理がたいもので、悪い者にはかまうがそうでなければ人にかまうものではありません。悪い者にはひどいもので、ここでも新墓を掘ったり引こじり上げて食うたりしたことがありますが、やっぱり悪い者へします》

村上さんは、「私が十一、二の頃に一度狼を見たことがあります」という人だ。遠くからではない間近で見ている。「狼は一度起きて身ぶるいをして寝返りをしましたが、その時のってあくびをしました。その口がとても大きなもので(後略)」というように。

このように、狼が口の中の骨あるいはトゲをとってくれと頼み、とってくれたお礼をするというお話は、説話・民話のなかでしばしば展開される「パターン(定型)」であるとみて、「動物報恩譚」と称される。狼はなかでも頻出するもので「狼報恩」とカテゴライズ(分類)される。事例が多いということでもある。ただ、多いとはいえ、それほど普遍化してすませられるものかどうかに、やや疑問が残る。

試しにいくつか事例を集めてみよう。

先の日原の南に位置する六日市にはこんな話がある。

《「大昔のオオカミは、人や家畜に危害を加えるようなことは、めったになかったと聞いとる。むしろ恩義を知る偉い獣で、九郎原に伝わる話じゃが、ある家で夜中にオオカミが勝手口に現れて悲しい声で鳴くんで、戸を開けて足を見てやると、食べたウサギの骨が足の裏に刺さっていたので、抜いてやった。次の晩、そのオオカミがウサギをくわえてきて、勝手口に置いていったちゅうことじゃ。

明治になってから本当にあったことじゃが、九郎原の民家の牛んだや(牛小屋)に、はぐれもののオオカミが忍び込み、牛が騒ぐんで、主人が気づき、槍で突き殺したちゅうて聞いとる。どうも、明治になってから、急に”悪者”のオオカミに変わってきたようじゃのお」》

田中幾太郎『いのちの森ー西中国山地』1995,光陽出版 による。

田中氏は、この話を六日市町九郎原の山本久米太郎(1978年に95歳で没)氏から聞いたこととして記している。

※続く

火入れから4年を経過した、通称「中山」では、植生のきわだった変化が見られる。
 今年の春の特徴を忘れぬうちに書いておこう。

 写真のウバユリは、これまでまったく見られなかったもの。種がどこから運ばれてきたのか、休眠していたものが芽生えたのか、他の植物もそうだが、とても不思議でおもしろい。

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・昨年目立ったミツマタはどこへ行ったのか、今年は開花をみなかった。
・イタドリがふえた。
・春に開花するアザミがやや減った。
・火入れ1年目には単一植生で山を占有していたアレチノギクの姿がうすい。これからなのか。ただ、昨年夏の火入れ地にはボツボツと「きゃつら」とこぼれだねからの蕎麦だけが芽を出している。

 さて、この日は、道路の脇に出ていたハチクを切ってきた。時期は遅い。多くは、背丈を超えるほどにのびている。喰えるかどうかは明日のお楽しみ。
 チガヤはここ数週間で穂に花をつけている。「シューッとぬいて」、茎の下をかじりながら吸ってみると、甘いような気がしないではない。少なくとも苦みはなく、2本、3本とかじってみるうちにくせになりそうだ。子どものおやつにはちょうどいいのではないか、これくらいの甘さが。
ジューンベリーは、最近、鳥がしつこくこなくなったせいか、人が食べるぶんもけっこう残った。毎日つまみぐいしている。とりたてがいちばんおいしい。山にたくさん植えても鳥の餌にしかならないだろうから、庭に植えて楽しむのがいいんだろう。果実が実る木をもっと世にふやしたいものだ。
 実生から育てられないものか、ちょい挑戦してみようか。ガマズミの実は今年も芽を出しそうもない。やり方をかえて、また来年チャレンジしよう。そろそろ挿し木用に山から枝をとってこなくては。