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人に見捨てられ、荒れ果てた地に生きる梅の木。殺伐として見えるものですが、そうした梅がつける実には強い力が宿るといいます。人がもっととりやすいように、もっと実がなるように、勝手に切ったり、肥料をやったり、薬をまいたりする。そんな人の害から自由になり「本来の」自然のチカラを取り戻すから?でしょうか……。そんな簡単なことが起こっているのでは、たぶん、ないのだと、最近、考えるようになりました。そんなお話につながることを少しばかり。

昨日、自宅兼カフェの小さな家の、これまた小さな庭に百年以上は生きてきたであろう松の手入れに、庭師さんがやってこられました。かれこれ五年お世話になっています。もともと病気がちな松だったのですが、手入れをしてもらうたびに元気になっていました。しかし昨年あたりから少し調子が悪く心配していたのです。天候もあるでしょうしこの地域で流行っている病気もあるでしょうけれど。他の家では薬や肥料を使ったりされているようですが、ことこの流行病についてはどうやらこれという薬もないようですし、なるべくそうしたものは使わずにすませるにこしたことはありません。

庭の土中環境もたぶん、だんだんよくなっているはずで、五年前はひどかった虫食いもだんだんと少なくなり、今年はようやくバラがたくさんの花を咲かせたりしたものです。松のまわりで気になっていたのは、苔がふえていることで、水がたまりがちなのか、通水性通気性が悪くなっているようでもあります。そうした循環を促すように、浅い穴をいくつかほって炭をいれてもらいました。

さて、松の手入れが終わって、次に大きなシマトネリコの木のことを相談したときのこと。なるほど〜、へえ〜、っということばかりで感心することばかり(いつもですが)ですが、そのやりとりのひとつをあげておきます。

私 「そういえば、木の根が表に出てきているのですが、土をかぶせたほうがよいのでしょうか」
庭師「いや、そのままで。(この環境のなかで)根をどうのばすか……それはこの木が考えることですから」

そして、《もし人が土をかぶせたら、木は間違えるかもしれない》…そういうことを続けておっしゃっいました。

生きようとしているものたちが、何を感じ、考え、動くのか。言葉をもたないもの(もっているものでも)に対して、人がとるべき態度というものを示していように思う。

…つづく。

木次図書館で借りたものなど。6月15日に返却予定(上2冊は他館:島根大学付属のものゆえ厳守)。
†. 高取正男,昭和57『民間信仰史の研究』(法蔵館)
†. 千葉徳爾,昭和46『続狩猟伝承研究』(風間書房)
†. 大林太良,1992『正月の来た道』(小学館)

島根県立図書館にて
†1. 佐々木高明,2006『山の神と日本人』(洋泉社)
†2. 飯嶋和一,2015『狗賓童子の島』(小学館)
†3. 谷川健一編,1996『日本民俗文化資料集成24 子供の民族誌』(三一書房)
†4. 保立道久,2013『物語の中世 神話・説話・民話の歴史学』(講談社学術文庫)
†5. 自然農法国際研究開発センター編,2016『これならできる!自家採種コツのコツ』(農文協)
†6. 谷川健一編,1995『日本民俗文化資料集成21 森の神の民族誌』(三一書房)
†7. 西宮一民,平成2『上代祭祀と言語』(桜楓社)
†6. 坪井洋文,1989『神道的神と民俗的神』(未来社)

以上が借りて帰ったもの。ただし†6〜†8は後日、5月4日に借りた。
†1.は、大山あがりの原稿の参考資料として。
†2.は、9月以降の本とスパイスでとりあげるべく、まずはさわりだけでもと借りたもの。
†3.は、リストにあったので、書庫より出しもらったものだが、はて、何を調べたかったのか。子供の遊びについての資料が多く採録されているのだが、そのなかのなにかだろうか。少々迷ったが、巻頭の写真に興味をそそられ持ち帰ることにした。たとえば秩父のひなげー、子供たちの顔だちのなんと凛々しく目の力の強いことか。
持ち帰って後、24巻ではなく21巻を求めていたのだった。「森の神の民族誌」のほうである。
†4. 第3章にあてられた論文「巨柱神話と天道花ー日本中世の氏神祭りと農事暦」を読むため。これも大山あがりの参考資料としてのものだが、それはタイトル後者の天道花についてであって、天道花と巨柱神話、世界樹のテーマとの結びつきのなかで展開されるとなれば、かなりの大風呂敷となるのだが、そこは歴史学の泰斗らしく要のおさえかたが適確丁寧で問題をとらえやすく、これは要熟読。
†5. 書名は軽いものだが、自然農法国際研究開発センターの編らしく、ていねいにつくられている。

さて、1時間半ほどしかなかったがリサーチは、新聞記事データベースから「山あがり」「大山さん」の記事を探すべくあたりをつけること。
聞蔵にしても戦前のものはサービス対象外で検索できず。マイクロフィルムであたってみてはという助言もいただくが、こりゃ時間がないとできんね。

島根県立中央図書館にて
いくつかの市町村誌を複写。また、年取りカブ(正月カブ)についてリファレンスを願う。3日後であったか、電話で連絡があり、やはり見当たらないとのことだった。

◆借りたもの
†. 野本寛一,1989『軒端の民俗学』(白水社)
読むたびに示唆を受けるものだし、資料としても常に手元においておきたいし、読むのが心地よい書。ゆえに古書を求めて注文済み。「浜焼き」については、木次の焼き鯖のルーツを探るうえで、もっておきたいもの。わずか数行とはいえ。
†. 『聞書き 山形の食事』(農文協)
†. 『現代思想2017年12月号 特集 人新世ー地質年代が示す人類と地球の未来』(青土社)
「解体者」の概念をめぐって藤原辰史氏の連載をひろっておきたく。

◆複写したもの・閲覧したもの等

松江市立図書館にて
◆借りたもの
†. 張憲生,2002『岡熊臣 転換期を生きた郷村知識人ー一幕末国学者の兵制論と「淫祀」観』(三元社)
†. 白石昭臣,1998『農耕文化の民俗学的研究』(岩田書院)
†. 古川貞雄,2003『増補 村の遊び日ー自治の源流を探る』(農文協)

少しずつ加筆のつもりでおいておくもの

†. 川島宙次,昭和53『日本の民家―その伝統美』(講談社現代新書)
†. 昭和61『聞き書 静岡の食事』(農文協)
†. 根本正之,2014『雑草社会がつくる日本らしい自然』(築地書館)
†. 広戸惇,平成2『出雲方言とその周辺』(出雲市民文庫:出雲市教育委員会)
†. 青葉高,1981『野菜ー在来品種の系譜』(法政大学出版局)
†. 1997『祖父母から孫に伝えたい 焼畑の暮らし―静岡市井川の老人たちが語る山の人生』(静岡市立登呂博物館)
†. アリストテレス,1999『アリストテレス 心とは何か』(桑子敏雄・訳,講談社学術文庫)
†. 坪内洋文,『イモと日本人』(未来社)
†. 野本寛一,1989『軒端の民俗学』(白水社)

小さな崖上にたたずむ馬頭観音。これまで何度もこの下を通っていたのに今日はじめて気がついた。あがってみると、人ひとりかろうじて通れるような小道である。下布施、尾白から佐白に至る山道の跡だろうか。この先は藪に埋もれているが、たどっていけば「草村の中にかくろひし神」との出会いがあるかもしれない。ここも、また草に覆われて見えなくなる。そのぶん、むしろ狐や狸らがこの前を通っては頭をよせるだろうか。

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明治初頭、維新の混乱に多くの神々が打ち捨てられていく世にあって、どんな小さな神をもくまなくひろいあげ書き記した一地方官吏、石見の藤井宗雄の長歌をひろった。山崎亮,2010「石見地方の「森神」をめぐってー明治初年「神社書上帳」を手がかりに」より。藤井が書き記したものは大半が刊行されていないのだという。まずは手にとれるものから見てみたいし、出していくべきものの予感がこのうたからも伝わってくるではないか。

 やことなき神の社も草村の中にかくろひあたし國けしき神をも眼火々よく耀うてなに齋き尊きもはた卑きも枝宮も本つ社もけちめなくみたれにけれハ…(『藤園紀行』二)

島根県立図書館へ。16時〜18時。
正月習俗のなかに奥出雲の「正月カブ」について何かわかることがないかと『出雲民俗』からピックアップしておいた記事を観る。出雲民俗の会による『出雲民俗』は1949年から53年まで1号〜21号までが刊行されている。原本の所蔵はあるようだが、閲覧は複写簡易製本されたもののみ。請求したなかで「痛みがひどいので、お見せできません」というものもあり。原本はあるはずなので、《平成25年4月から施行された「島根県教育委員会が管理する歴史資料の利用に関する規則」に基づく利用の手続きが必要です》ということで事前申請となるのか。仕方あるまい。いや、嘆いているのではない。この有り様を所与の現実として、どう振る舞うかを心にとめおかねばならぬ。

さて『出雲民俗』。次回ていねいに読むとして、今回は斜め読みしながらメモ書きしたのみ。
※メモ書きはのちほど加筆
†. 石塚尊俊「歳神とその祭儀ー出雲を中心に山陰における」(14号,年頭行事特集,昭和27年2月)
†. 松崎清「年頭習俗語彙ー仁多郡横田町一」(14号,年頭行事特集,昭和27年2月)

次に『山陰民俗研究』。
†. 山崎亮「石見地方の「森神」をめぐって−明治初年「神社書上帳」を手がかりに」(15号,2010年3月)…これについては島根大学のトポリジニにPDFがあった。
http://ir.lib.shimane-u.ac.jp/ja/list/journalarticles/001002/item/37917

今回借りた図書は5冊。
†. 野本寛一,2010『地霊の復権ー自然と結ぶ民俗をさぐる』(岩波書店)
†. 梅原猛,昭和55『空海の思想について』(講談社学術文庫)
†. トマス・カスリス,2016『インティマシーあるいはインテグリティー』(法政大学出版局)
†. 青葉高,1981『野菜―在来品種の系譜』(法政大学出版局)
†. 高取正男,昭和48『仏教土着―その歴史と民俗』(NHKブックス)

出雲市立中央図書館にて『山陰民俗』からいくつか複写。

§ムコガンさん

加茂のムコガンさんについて、石塚尊俊が「ミコガミ」すなわち巫女神だとする論考あり。昭和51年(1976)発行の27号に収められている。石塚氏が、井塚忠の「ムコ神さん」の稿、それは山陰中央新聞学芸欄「ふるさと再見」に11月25日に載る予定のものを事前に見せてもらったことに端を発する。安来市から能義奥にかけて11月13日をムコ神さんといい、よそから米をもらい集めてきて、それで小豆飯を炊き、サンダワラに盛って、トコの間か、ウチ庭の先の戸棚の上かに供える。というもの。「よそから米をもらってくる」のは子供たちの役割だったらしく、井塚氏は子供の時分の経験で、数人連れ立ってよその家の門口にたち、大きな声で「ムコグヮのクヮンジ」とやるのがとても恥ずかしかったと記されているという。

それらを端緒として、石塚氏は「ムコガミはミコガミかも!」と思い至り、旧知の坪井洋文が編纂に労をとった『総合民俗語彙』から概要をひき、自ら四国へ取材した折の話が展開されるという構成となっている。
『総合民俗語彙』はデータベース化されて公開されており。
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/goi/db_param
そこでミコガミをひくとこうある。

ミコガミ
高知県香美郡槙山村から徳島県海部郡木頭村にかけての山間の村々
御子神。
高知県香美郡槙山村から、徳島県海部郡木頭村にかけての山間の村々に行われる神職家の祭。大夫をした者が死んで十五年くらいたって祭るのだが、それも病気や災害があって、大夫が神になりたいという催促のお告げがあって祭るのが普通である。これは天の神の家来になるための祭だといって、必ず十七日または二十三日に行い、そのとき位牌を捨てる。三年たってムカエグライ(迎え位か)の祭というのをすると、本当のミコガミとなる[民伝二ノ三]。このことは『土佐国群書類従』の中にも御子神記事として出ている。神職の家以外は今はテンノカミマツリと呼ぶようである。広島県福山市付近には五月と十一月との十三日に御子神祭がもとはあって、家内の祭であった。醸造家では特に念入におこなった。これを忘れていると瘡を発すると伝えた[風俗答書]。島根県大原郡でミコガンサンというのは、十二月十三日で、この日乞食をして米を集めて食うと足を病まないという。

そう。大原郡のミコガンサンがここに出てくる。この当時の大原郡は木次町、大東町、加茂町、温泉村(すでに木次町と合併していたかも)からなる。くまなくではないが、ひととおり目を通しているその限りでは、ミコガンサンの記載があるのは加茂町のみ。しかも、ミコガンサンではなくムコガンサンである。

これ以上、考えるのには材料不足。
向神=サイノカミ=客人神=まつろわぬ神の線から、もう一度みてみることと、シャグジ=クナトカミがあるのかどうか。来訪神の線からも、見直してみようと思う。

ほか、山陰民俗から複写したものとして、以下がある。
†. 中俣均「出雲地方における”小正月の訪問者”について」(35号,昭和55)
†. 山田良夫「吉賀奥探訪記ー石見鹿足郡蔵木村民俗誌(抄)」(40号,昭和58)
山田良夫は石塚尊俊のペンネーム。次の「石見鹿足郡蔵木民俗誌」と同様、吉賀の「奥」を訪ねた記録である。”多くの民俗学者が訪問している”と書かれたものを見たのはなんだったろうか、思い出せない。が、いまのところ、この石塚尊俊(山田良夫)と、宮本常一を知るのみ。
†. 石塚尊俊「石見鹿足郡蔵木民俗誌」(9号,昭和31)
†. 末次福三郎「出雲大原郡加茂地方の歳時」(9号,昭和31)
加茂町誌記載のムコガンさん、その出所はこれではないかと思う。
《十一月 〔十三日〕向神さん(ムコガンさん)、子供は「ムコガンさんだけんゴンゴごはっしやい」といって各戸を廻り米を集める。それを焼いて神仏に供える。商人のウソツキ祝いもこの日》
ウソツキイワイを先の『総合民俗語彙』でひくと次のようにある。

《鳥取県伯耆では十二月八日のヨウカマチに、変わりものをこしらえて一盃を傾け、これを嘘つき祝といっている[風画二六一]。その際に豆腐は必ず食うという者も多い。これを食うと一年中についた嘘が消えるともいう。
[-]因幡の方でもこれをウソツキトウフと呼び、ついた嘘の数だけ豆腐を買わねばならぬとも、またこのヨウカブキの日の豆腐を食えば、吹雪にやられぬともいっている。嘘と豆腐との関係は不明であるが、岡山県英田郡でも、十二月の八日待ちには豆腐を食べ、この日を年中の嘘はがしといっている[郡誌]。島根県仁多郡でも、やはり八日をヨウカマチともヨウカヤキ・ヨウカブキとも呼んで、米の団子に小豆餡を入れ、焙烙で焼いたおやきをつくる。一年中の嘘を消すために、このおやきを川へ流すのである[民伝一四ノ六]。》

†. 土屋長一郎「稲米呼称の推移」(4号,昭和29)

†. 土井伸一「ワニを食べる文化」(52号,  )

そして、借りている本を以下にあげる。
†. 石塚尊俊,2005『暮らしの歴史』(ワン・ライン)
†. 乙立郷土誌編纂委員会,2005『乙立郷土誌』(乙立自治協会)
†. 藤原俊六郎,2013『新版 図解土壌の基礎知識』(農文協)
†. David.W.Wolfe,2001『地中生命の驚異ー秘められた自然誌』(長野敬,赤松眞紀訳;2003,青土社:Tales from the Underground-A Natural History of Subterranean Life)
†. 浜田信夫,2013『人類とカビの歴史 闘いと共生と』(朝日選書)
†. 内田樹,2012『街場の文体論』(ミシマ社)

『乙立郷土誌』p.142に入会山について興味深い記載あり。

《入会山 現在の乙立地区内の公有林および町内共有林、神社林の大部分は、明治年代まで野山と称し、入会山であり、即ち村中持ちと呼び、共有林として、村人は概ね勝手に山に入り薪や草を採取し、また小炭を焼きあるいは焼畑(通称さんか)をなし作物をつくることもできた》

焼畑をサンカを呼ぶのは、出雲西部の山間部にあるようで、白石昭臣『竹の民俗誌』p26に、志津見地方のことで出てくる。

《かつてはハンゲまでに田植えをすませると、組ごとに管理する山を焼く。無用山ともいう竹や笹を主とする雑木山を焼くもので、サンカ(山火)ともいっている。一戸あたり1.5町歩(約150r)を焼くという。》

他にもいくつか特筆事項があるのだが、のちほど加筆する。灰買いのことなど。

出雲市立中央図書館へ。
今週来週のところで雨の日があれば、半日くらいかけて地誌を総あたりして山あがりを調べていく(のだ)。

†. 稗原郷土史編集委員会,昭和60『稗原郷土史』(稗原自治協会)
生活編〜村の年中行事中より
四月
八日の花祭りと大山さんが挙げられている。
《大山さん(だいせんさん)、これは牛馬の守り神として村内各所にまつられている。祭日は一定しないが、春か秋に祭を行って、牛馬を連れて参ったり、参拝者が受けたお札を厩舎に張ったり、供物を牛馬に与えるなどして厩の繁盛を祈った》
※年中行事の項に関して特筆すべきは3点。
・藩政期に続いて明治初期に行われた年中行事について、野尻牛尾家の古文書によって記述したものであること。
・正月につく餅について、粟餅祝を雪隠の神に供えたとあること。
・6月(旧暦)の1日に、麦の御初穂を神棚に供えて麦神祭りを行う、と。

†. 浜田信夫,2013『人類とカビの歴史 闘いと共生と』(朝日選書)
†. 矢野 憲一,1979『鮫 』(法政大学出版局)
†. 一島英治,1989『発酵食品への招待―食文明から新展開まで 』(裳華房)
†. 内田樹,2012『街場の文体論』(ミシマ社)