小さな崖上にたたずむ馬頭観音。これまで何度もこの下を通っていたのに今日はじめて気がついた。あがってみると、人ひとりかろうじて通れるような小道である。下布施、尾白から佐白に至る山道の跡だろうか。この先は藪に埋もれているが、たどっていけば「草村の中にかくろひし神」との出会いがあるかもしれない。ここも、また草に覆われて見えなくなる。そのぶん、むしろ狐や狸らがこの前を通っては頭をよせるだろうか。
明治初頭、維新の混乱に多くの神々が打ち捨てられていく世にあって、どんな小さな神をもくまなくひろいあげ書き記した一地方官吏、石見の藤井宗雄の長歌をひろった。山崎亮,2010「石見地方の「森神」をめぐって―明治初年「神社書上帳」を手がかりに」より。藤井が書き記したものは大半が刊行されていないのだという。まずは手にとれるものから見てみたいし、出していくべきものの予感がこのうたからも伝わってくるではないか。
やことなき神の社も草村の中にかくろひあたし國けしき神をも眼火々よく耀うてなに齋き尊きもはた卑きも枝宮も本つ社もけちめなくみたれにけれハ…(『藤園紀行』二)