9月23日秋の火入れ雑感

秋分の日は、山に火を入れておりました。長雨が続いておりましたので、前日は晴れていましたが、土もまだ湿ったままで、火はなかなかひろがらず、残りは来春に持ち越しとなりました。

夜遅くまで火の番をしましたので、熾火からときおり山の上に舞い上がる火の粉を、朧月夜のなか楽しみました。そこは乳牛の放牧地のなかにありますので、夜になると牛たちが思い思いの場所へちって草をはんだりねころがったりしています。出産間近の牛もいるようで、牧場主曰く「満月に近いので、今日明日に分娩するのかも」。

種も満月の日にまくものだとは古老が申します。

月の力はおそろしいものだという感受性は、山の奥辺に暮らす老いた人にはまだかすかに残っているようで、直接みるものではないが、ススキの穂ごしにみれば魔性をそいでくれるのだとかいうことを、ばあさんからきいたなどときくこともあったでしょうか。

月は農耕とかかわるようで、どうやら狩猟とのかかわりのなかに色濃くあることと、芋とのつながりも、ススキとつながるとその想念は稲のほうとむしろかかわり深いようで、まさに芋のつるのように、連なりつながるものであるよなあ、と思いました。

「九州・宮崎、椎葉家の食卓」より

 季刊銀花の第百二十三号、2000年秋の号は特集に「野菜めぐり」をあてている。加賀の丸芋に太胡瓜、新潟の黒崎茶豆、福井の蛙瓜、そして山形・一霞の温海カブなど、美しい写真群に目を奪われたのか、見逃していたのが椎葉クニ子さんに取材した標題の記事だ。

 江口司さんの取材・文、広野司さんが絵をつけている。

 書き留めて、ここから考えるべき事柄がたくさんあるのだが、ひとつひとつあげて、書き足していこうと思う。

 まず、本文には言及がなく、イラスト(絵)のみであるものに、母子草がある。

◉母子草のこと

 どういう利用をされていたのかが大変気になるし、確かめておくべきことである。著作のなかにあるのではなかろうか。県立Lib.で調べてみよう。場合によってはご本人に聞いておきたい。

 刮目すべきは、母子草の呼び名を「ネバブツ」とふっているところ。ハハコグサを草餅の材としてもちいるときに、とても粘りがあるので、香りよりもこのねばりを活かすためによく使ったのではないかと推定しているのだが、一証左としてもっと突っ込んでみたいところ。

 また、「ネバ」がねばりとは限らない。ネバブツという語彙そのものが、JKナレッジ所収の辞典類、ウェブ検索ではまったく見当たらない。クニ子さんの造語という可能性もある。

焼畑における3年目の小豆、4年目の大豆

 江口さんが聞いたクニ子さんの言葉をそのまま引用してみる。

《焼き畑で、いちばんたくさん雑草の生える年は三年目ですよ。この年は、焼き畑に牛を追い込んでも見つからないぐらいに雑草が生えるですよ。四年目になると、今度は土の地力を、作物や雑草が収奪してしまうのじゃろうか、草もあまり生えなくなる。それで、三年目になぜ小豆を播くかというと、小豆は偉い植物ですよ。小豆が芽を出すとき、二葉を合わせたままで、「ネコブク(藁製の厚い敷物)八枚刺し通す」というて、それぐらい発芽力があるとよ。小豆をまいて、その上に雑草がいっぱい生えて、草取りをして、それを上にかぶせとっても、小豆の二葉はそれを押しのけて目を出すの。かえってその雑草をコヤシにして育つ》

 大豆はというと、芽を出すときに語るっちゃいう。大豆は芽を出すとき、二葉を大きく開いて、覆いかぶさる雑草(枯枝)の材木を、どうして持ち上げようか……と、大豆は悩むそうな。それで地力の落ちた雑草も生えんようになった四年目に大豆を植えるんですよ。逆は絶対にダメですよ》

 

◉ウバユリの利用について

 焼畑として利用せず、樹木の伐採もしない椎葉家の裏山は「たて山」と称する。そして、「そんな森の中には山百合(ウバユリ)がいたるところに自生していて」とある。球根をご飯にまぜて炊く、囲炉裏(ゆるり)の灰のなかで焼いたりして食べるのだというが、「いたるところに自生」というのがたて山のような陽のささない森のなかで、どうしてなのかと訝しい。自生する場所は限られていると思うのだが如何。

西石見のニホンオオカミ

大庭良美『石見日原村聞書』のなかに、オオカミの言葉を聞いた人の話が出てくる。
一見したときには驚き興奮した。動物がはっきり言葉をしゃべるのは、童話・民話の中での話である。狩猟採集の民のなかには動物と話ができる、動物が話すということが調査のなかでは出てくるのだが、日本ではそういう話はきかない。いや、どうだろう、そういう意識で見聞したことがないから、気が付かないだけなのかもしれない。中世の仏教説話集をひろい読んでみようかと思っていた矢先のことだった。
さて、件の聞書。興奮がややさめて平静をとりもどしたところで、よく読めば、「〜といって啼きました」と記してある。
一方で、あぁそういうことなのかと思うこともある。
まずはあげてみよう。
話者は村上仲蔵さん。昭和14年10月、92歳のときの聞書である。

《小滝のさねうじという家へは狼が庭(カド)へ来たことがありました。そうして啼きました。魚の骨がのどへかかって痛いから掘り出してくれといって啼きました。骨を出してやるとその翌日にはどこで捕ったものやら魚を持って礼にきたそうです。狼というものは義理がたいもので、悪い者にはかまうがそうでなければ人にかまうものではありません。悪い者にはひどいもので、ここでも新墓を掘ったり引こじり上げて食うたりしたことがありますが、やっぱり悪い者へします》

村上さんは、「私が十一、二の頃に一度狼を見たことがあります」という人だ。遠くからではない間近で見ている。「狼は一度起きて身ぶるいをして寝返りをしましたが、その時のってあくびをしました。その口がとても大きなもので(後略)」というように。
このように、狼が口の中の骨あるいはトゲをとってくれと頼み、とってくれたお礼をするというお話は、説話・民話のなかでしばしば展開される「パターン(定型)」であるとみて、「動物報恩譚」と称される。狼はなかでも頻出するもので「狼報恩」とカテゴライズ(分類)される。事例が多いということでもある。ただ、多いとはいえ、それほど普遍化してすませられるものかどうかに、やや疑問が残る。
試しにいくつか事例を集めてみよう。
先の日原の南に位置する六日市にはこんな話がある。

 《「大昔のオオカミは、人や家畜に危害を加えるようなことは、めったになかったと聞いとる。むしろ恩義を知る偉い獣で、九郎原に伝わる話じゃが、ある家で夜中にオオカミが勝手口に現れて悲しい声で鳴くんで、戸を開けて足を見てやると、食べたウサギの骨が足の裏に刺さっていたので、抜いてやった。次の晩、そのオオカミがウサギをくわえてきて、勝手口に置いていったちゅうことじゃ。
明治になってから本当にあったことじゃが、九郎原の民家の牛んだや(牛小屋)に、はぐれもののオオカミが忍び込み、牛が騒ぐんで、主人が気づき、槍で突き殺したちゅうて聞いとる。どうも、明治になってから、急に”悪者”のオオカミに変わってきたようじゃのお」》

田中幾太郎『いのちの森ー西中国山地』1995,光陽出版 による。
田中氏は、この話を六日市町九郎原の山本久米太郎(1978年に95歳で没)氏から聞いたこととして記している。

※続く

動物と人のあいだ〜金森修『動物に魂はあるのか』etc.(本の話#0013)

本の話とカレーのゆうべ。人文カフェともサイエンスカフェともいえましょうが、そのご案内。
「森と畑と牛と」 編集人の面代真樹が、動物と人との関係を、思想と科学の歴史を軸にお話します。
◉主 催:カフェオリゼ&樟舎
◉日 時:10月5日(金)
開 場…18:30〜
トーク…19:00〜20:30
(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)
◉場 所:カフェオリゼ(島根県雲南市木次町里方331-1)
◉参加費:2,500円(スリランカカリー、ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉申 込:メールまたはFAXにて、「本とスパイス参加希望」として、お名前とご連絡先を明記の上、お送りください。申込は返信をもって受付と致します。
honto@ksnoki.org
fax0854-47-7181

◉内 容:案内人……面代真樹(「森と畑と牛と」 編集人)
あなたは、動物のメッセージを聞いたことがありますか?
かつて、動物が人に話しかけることは珍しいけれどあり得ることとして受け入れられていました。 古層への回路をもつ民の間では、今でも常識の範疇にあります。 日本でも百五十年ほどもさかのぼれば、その痕跡が見つかります。 たとえば石見地方の日原。ある日、狼が庭にやってきて「魚の骨がのどにかかって痛いから掘り出してくれ」と言っているのです※1。
しかし、最近の調査や報告から知れるのは、動物のメッセージを受け取れる人間も、言葉をしゃべる動物たちも、もう本当にいなくなってしまうのだろうということ。
なぜなのでしょう。
私たちは、もう動物の言葉を聞くことはできなくなってしまったのでしょうか。
いや、そうではなく……。私たちが聞く耳を失ったばかりではなく、動物たちのほうが、言葉をしゃべることができなくなってしまっているのだとしたら……※2。

そんなお話を以下の本をとりあげながら展開します。

『動物に魂はあるのか―生命を見つめる哲学』金森修著(中公新書)
『感応の呪文―〈人間以上の世界〉における知覚と言語』デイヴィット・エイブラム著/結城正美訳(水声社)
『ソウル・ハンターズ―シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』 レーン・ウィラースレフ著/奥野克巳ほか訳(亜紀書房)
『精神の哲学・肉体の哲学―形而上学的思考から自然的思考へ』 木田元・計見一雄著(講談社)

※1)※『石見日原村聞書』大庭良美・1974(未来社)による。動物が人と話すのは、民話のなかではあたりまえのように展開するが、実話・実歴となるとそう多くはない。 ただ、民話(昔話)と実話は明確な境界をもたず、重なりあうものでもある。神話と史実との関係にも似て。今回着目したいのは、この日原の例がそうなのだが、狼を見たことがある人が語っているということ。それは狩猟を行うものか近いものであったということだ。動物と話をするアラスカのコユコン、極北タイガのユカギール、いずれも狩猟民であることは、何をものがたるのか。
※2)「もののけ姫」での乙事主を思い出してみよう。「わしの一族を見ろ!みんな小さくバカになりつつある。このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう」

ストラヴィンスキーと観世静夫と声明と〜NTS Radioによる『AKIRA』の音楽の背景

ネットラジオNTS Radioの番組リンクです。

番組では、芸能山城組組頭・山城祥二が、『AKIRA』を作曲する際に影響を受けた曲をあげています。半分ほどが芸能山城組のレパートリー。PCのブラウザではいちばん下に表示されている再生ボタンをクリックすると、全曲が視聴できる。これ、権利処理をどうしているのかが、とても興味深いし、知りたいところ。おそらく期限つき。つまり早く視聴すべし。

https://www.nts.live/shows/guests/episodes/akira-influences-w-dr-yamashiro-11th-june-2018