カテゴリー: 森は考える
小寒の日の午後、杵築大社に詣でる
令和5年1月6日、小寒の日の午後、杵築の大社に詣でる。いつも行くように、八雲山、弥山を前にみながら歩を進められる、歴史博物館からの道を行く。北島國造館へ参り、そこで玉串をいただき、八雲山、その山塊の東の裾から湧出でて池を...
誰が考えることなのか
焼畑5年目の山の緑。年に一度の草刈りと牛がときどきあがること、それらのバランスが整った場所だとこうしたつる性の多様な植生と種々の低灌木の幼樹が土を肥やしながら、次なる奪還者の到来を準備するのだろう。しかし、他の場所ではヨ...
木は痛みを感じるのか〜side story#1
人に見捨てられ、荒れた地に、のたうちまわるような枝をのばして生きる梅の木。殺伐として見えるものですが、そうした梅がつける実には強い力が宿るのだと、そういう人もいます。そうした梅は人が植えたものかもしれませんが、人の力で育...