大晦日の夜に起こりつづけてきたこと〜ヴィスワヴァ・シンボルスカ「終わりと始まり」(本の話#0021)

◉主 催:カフェ・オリゼ&樟舎
◉日 時:2019年12月21日(土)
開 場…17:30〜
トーク…18:00〜19:30(19:30〜21:00 食事とカフェの時間。20時以降の退場はご自由に)
◉場 所:カフェオリゼ(島根県 雲南市木次町里方331-1)
◉参加費:2,500円(スリランカカリー、ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉申 込:「本とスパイス」参加希望として、下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。
honto@ksnoki.org

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◉内 容

入江相政の『味のぐるり』と題したエッセイ集の中にこんな一節がある。

”子供のころには「もういくつ寝るとお正月」と歌って、胸をはずませて、正月を待った。それだけに、大みそかの庭の暮色に、特別の感慨を持ったものだった。このごろは、年を取ったせいか、それとも正月には年を取らないことになったせいか、正月というものに、昔ほどには、新鮮な味を感じないようになった。”

あぁ、本当に……。どうして、さらりと、こんなにも大事なことが言えてしまうものだろうか。ここには、ただならぬ事件が語られているのだ。お気づきだろうか?
「大みそかの庭の暮色に特別の感慨」なのである。
「年を取ったせいか、それとも正月には年を取らないことになったせいか」というのである。
ちょうど去年の今ごろ、この一文に出会って以来、現場に残された小さな糸から推理を重ねるように、このことを考えてきた。行き詰まるたびに、現場百回の精神でこの一節を読み返してみたものだ。が、わからない。ますますもってわからない。
なにぶん捜査中の事案ゆえここで言えることは限られるのだが、奥出雲地方では、大正年間まで、昔話というものは大晦日の夜にしか話せないものだったことを覚えている人がいたことは事件をとく鍵のひとつだと思う。わけても、大晦日に起きた話が語られ、合いの手がかかり、うたもうたわれるようなものであったということは。まるで演劇のように。子どもは観客でもあり主役でもあった。子どもたちを見守る大人たちがまわりを囲んでいた。そう、大人ならわけもないが、子どもには難題である試練がこの夜にはあった。夜が明けるまで決して寝てはならない。「決して」である。そして、もうひとつ。子どもたちは物語を、つくり話ではなく現実にあったこととして信じていた。サンタクロースを信じる現代の子どもたちのように。
これはC.レヴィ・ストロースが「サンタクロースの秘密」で解き明かした構造にほかならない。大人はサンタクロースの実在を信じていない、子どもたちだけが信じているということが秘密をとく重要な鍵になっているあれだ。プレゼントがサンタクロースを信じていない大人から信じている子どもたちへひそかに贈られる。この構造のなかで大人たちははからずもあるいは深層心理において、ある「奇跡」を願っていることが秘密の核心でもあった。
奥出雲にかつてあった大晦日の昔語りがどうだったかはわかならい。プレゼントはあった。子どもたちが年明けにもらうのは、お年玉である。お年玉の年は年取りの年なのだが、それは寝ないで朝がくるまで起きていられたらの話。
万が一にも寝てしまったら、何が起きるか。端的にいえば死の世界へおいていかれる。語られた昔話のなかでは、「決して消してはならない」囲炉裏の火を、家の嫁がうたた寝して消してしまう。誰もいない大晦日の夜、途方にくれた嫁は、外で焚き火をしていた箕をきた集団から火をわけてもらうかわりに、棺桶におさめられた死体を預かることになる。
さて、死体が出てきてようやく事件らしくなってきただろうか。
この昔話と現実とをつなぐひとつの回路に棺桶がある。棺桶とはすなわち器である。年桶と呼ばれる桶をご存知だろうか。正月の供物の容れ物としてもちいる地域は丹後半島から出雲地方にかけて点々と残っている(た)らしい。数年前に亡くなった民俗学者I氏が書かれたものであったろうか、こんな話がある。
ある年の大晦日に、久しぶりに訪問した家の祭壇にその年桶をみつけ、ほぅーと好奇にかられて持ち上げようとしたところ、「さわるんじゃない!」という怒声が飛んだのだという。I氏は丁寧に謝り、あらためて屈んでその桶をみるとバツ印が小さく刻まれているのをみて、ドキリとしたという。そう、斐川の荒神谷から出土した銅剣にも記されていたバツの徴。戦前の暮らしを知る年寄りにきけば、バツ徴は棺桶につけるものだったという。

七百年前の「徒然草」、あるいは千年前の和歌などにも記されているように、大晦日は、かつては亡くなった人の魂が訪れる夜であった。
いまのお盆のようなもの? そうかもしれない。だが、お盆の夜にはなくて、大晦日にしかないもの、それも年取りである。年取りは、少なくとも生と死がまじわる境界で発生する劇のようなものであったことが伺いしれよう。

さて、「正月には年を取らないことになった」と入江氏が書いたのは、昭和50年頃のこと、その入江氏は明治三十八年生まれである。明治生まれの人もいなくなった。いまや「数えでいくつ?」ときく人はいない。十年前くらいに、「数え歳」がなくなっていくことを話題にした記事が新聞などで読めたのが最期ではなかろうかと思う。
ここから少し寄道をする。近道であるはずなのだが、藪のなかの道ゆえ「寄道」としておく。それは入江氏の件のエッセイが書かれるより少し前のこと。本当の意味でひとつの事件があった。
「昭和四十四年の秋、奈良県と大阪府の堺にある二上山の中腹の岩穴に、七十三歳になるおじいさんが、ひとりで隠れて住んでいるのがみつかった。第二次大戦直後のころから、この山中に人が住んでいるという付近の評判であったのが、奈良県高田署の署員が巡回中に確認したもので、耳が遠く、言語も不明瞭なため、筆談してやっと名前や出身地をつきとめた」
老人は東北の出身で、郷里の村で放火の容疑で逮捕されるものの、心神喪失状態になり、自宅保護ののち姿を消し、そのまま行方不明になって三十二年が経過していた。署員には「俗世間で暮らすより山の生活のほうがよい、郷里の村へは七十五歳になったら帰る」と話したという。
高取正男が京都女子大学の民俗学講義で話したものをまとめた『民俗のこころ』におさめられている「ワタクシの論理」であげられている。柳田国男の「山の人生」を連想した方も多いだろう。高取もこの事件をあげた次に「ワタクシの暴発」と題してこう記している。

「柳田国男氏は、その著『山の人生』のなかで、この世に憤りをもった人が山に隠れ、ときに出産前後の女性が半ば発狂状態で山に入り、いわゆる山男とか山女とよばれるものになったという各地に伝えられる事例を追跡され、こうした行為の背後に共通して存在したものは、山に対して伝統的に抱かれてきた、一つの隠れた信仰であったと論じていられる」

西出雲地方でうたわれていた正月迎えの歌にこういうものがある。
”正月さん、正月さん、どこからお出でた
三瓶の山から、箕着て笠かべって、ことことお出でた”

年取りをもたらす「神」は、少なくとも私たちが暮らす土地の山からおりてくるものであった。蓑笠をまとった「もの」であった。
失踪した先の老人は、なぜ山に入ったのか。そのことについてはまたおいおいと。
さて、老人が故郷に帰ると言った七十五歳はもちろん数えでの年齢である。この老人が大晦日をどう過ごしていたかはわからない。わからないが、断言してもいい。毎年、「年を取って」いたのだ。対して、誕生日に年を取っているはずの私たちは、本当に年を取っているのだろうか。
こう言ってみよう。
昭和五十年代くらいから、私たち、とりわけ日本にすむ私たちは年を取れなくなってしまったのだ。成熟できていない幼い感じ、学力が低下した、いろいろとあるが、人として退化し劣化したということだ。
大声でがなりたてるような、憂慮すべき、許されない、全力で取り組むべき、というようなことだろうか。
そうではないと私は思う。いや、思うようになった。あきらめではない。そうではないのだ。
ポーランドの詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの言葉を借りれば、こういう心境。

「大事なことは大事でないことより大事だなどとは信じられなくなる」

詩集『終わりとはじまり』におさめられた一編、「題はなくてもいい」に綴られている言葉だ。この詩は次の一節からはじまる。

けっきょくのところ、よく晴れた朝
わたしは川辺の木陰に
腰をおろしている
これはとるに足らない出来事
歴史のうちにも入らないだろう
原因を研究すべき
戦闘でも条約でもなく
記憶されるべき暴君の殺害でもない
それでもわたしは川べりにすわっている、これは事実

「それでもわたしは川べりにすわっている、これは事実」
この「わたし」こそが、日本では大晦日の夜ごとに年を取ることで事実、すなわち「こと」の「実」となっていたものではないのか。この「わたし」を私たちは失っているのではないか。
こたえは帰ってこないし、こたえを求めることは間違っている。しかし知ろうとすることは間違ってはいないのだ、たぶん。
インクが尽きるので、唐突だが、ここで終えることにする。

大晦日の夜に起こりつづけてきたこと。
年をとることの真実。
暦がもたらす分裂と統合と生命と、天の星々について。
ワタシという存在に秘められた世界のはじまりについて。
そんなことが語られる夜となるのが、令和のはじまりの十二月二十一日です。

(案内:「森と畑と牛と」編集人・面代真樹)

◆主な図書
†. ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』1997,沼野充義訳(未知谷)
†. 入江相政『味のぐるり』1982(中公文庫)
†. 高取正男 『民俗のこころ』昭和47(朝日新聞社)
†. 高取正男『日本的思考の原型』昭和50(講談社現代新書)
†. 加藤尚武編『ハイデガーの技術論』2003(理想社)
†. 宮本常一 『民間暦』1985(講談社学術文庫)
†. 田中 宣一 『年中行事の研究』1992(桜楓社)
†. 山折哲雄,宮田登編『日本歴史民俗論集第8巻 漂白の民俗文化』平成6(吉川弘文館)より
・網野善彦「蓑笠と柿帷 : 一揆の衣裳」
・真野俊和「四国遍路への道 : 巡礼の思想 」
・千葉徳爾, 菅根幸裕 「白山麓山村住民の袖乞慣行(予察) 」
・早川孝太郎「ヒヨウの生活を囲つて」
・高取正男「遁世・漂泊者の理解をめぐって」
†. 『岩波講座 日本の思想 第四巻 自然と人為:「自然」観の変容』2013(岩波書店)より
・林淳「暦と天文」
・阿部泰郎「「往生」というテクスト:此岸と彼岸を往還するテクストの諸位相」
†. レーン・ウィラースレフ著『ソウル・ハンターズ:シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』2018,奥野克巳ほか訳(亜紀書房)
†. 下山 眞司〈筑波通信〉(WEBSITE)より
・「道」楽考―それはそれ、昔は昔、いまはいま!?(1981年5月;2019-01-15 更新版)
・十人十色……人それぞれ、それぞれの人(1982年4月;2019-05-07更新版)
・「無名」考……「ものの名前」を知ること=「もの」が分ることか?(1981年8月;2016-06-14更新版)
†. 有馬道子『パースの思想:記号論と認知言語学』2001(岩波書店)
†. Tim Ingold, 2000. The Perception of the Environment:essays on livelihood,dwelling and skill,London and New York ROUTLEDGE
†. 大日方克己『古代国家と年中行事』2008(講談社学術文庫)
†. 柳田国男「年中行事覺書」(定本柳田國男集13巻 筑摩書房)※青空文庫所収
†. 小野重朗「正月と盆」昭和59(日本民俗文化体系9 暦と祭事 小学館)
†. 中井久夫『分裂病と人類』1982(東京大学出版会〈UP選書〉), 新版2013
†. C.レヴィ・ストロース著,川田順造訳『悲しき熱帯』1977(中央公論、中公クラシックス2001)
†. 土橋寛『古代歌謡と儀礼の研究』1965(岩波書店)

…など