すきとおったほんとうのたべもの〜宮沢賢治『注文の多い料理店』etc.(本の話#0014)

◉主 催:カフェ・オリゼ&樟舎
◉日 時:11月2日(金)
開 場…18:30〜
トーク…19:00〜20:30
(20:30〜22:00 食事とカフェの時間。21時以降の退場はご自由に)
◉場 所:カフェオリゼ(島根県 雲南市木次町里方331-1)
◉参加費:2,500円(スリランカカリー、ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉申 込:「本とスパイス」参加希望として、カフェオリゼ宛facebookメッセージ、または下記のメールアドレスまでお名前とご連絡先をお知らせください。返信のメールをもって受付終了とさせていただきます。
honto@ksnoki.org
◉内 容
宮沢賢治――誰もが、子どもの頃一度は、読んだ記憶をお持ちではないでしょうか。「風の又三郎」「セロひきのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」……。そのほとんどが死後公表されたもので、生前に出版された童話集はわずか一冊。大正13年の『注文の多い料理店』で9つの童話からなっています。
が、これ、ほんとうに童話集なのでしょうか。序文で「わけがわからない」といい、それでも「こんなことがあるようでしかたがない」とかかれているのは童話の一部とは思えません。賢治自らが書いたと思われる広告チラシには「偽でも架空でも窃盗でもない」「たしかにこの通り心象の中に現れたものである」とも。

序文の締めくくりにはこう記されています。
「これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」
《すきとおったほんとうのたべもの》ってなんなのでしょう。
そして、《どんなにねがうかわかりません》というほどの切実な思い、賢治の願いとはなんだったのでしょう。

じつは、今回のお話、前回の「人と動物の間」の続編でもあるのです。宮沢賢治がシナスタジア(synesthesia:共感覚)を有していたことにふれ、動物が人と言葉を交わすその可能性とリアリティについて、科学と思想史の観点からせまったその続きです。
私たちは、童話を「つくり話」だと、「架空」の話だと、だから山猫や狼や森や風が語りかけたりすることになんの違和感もなく、その世界に遊ぶことができるのだと、そう考え、楽しみます。しかし、もし、それが「架空」ではないとしたら。
この問いにこたえるのには、少なくとももう一冊が必要です。2000年代以降、人類学の「存在論的転回」における重要著作として位置づけられるレーン・ウィラースレフの『ソウル・ハンターズ―シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』奥野克巳ほか訳(亜紀書房;2018刊)。

「私は二人の人間(ヘラ鹿二頭)が踊りながら近づいてくるのを見た。母親は美しく若い女で、歌いながらこう言ったんだ。『誉れある友よ、いらっしゃい。あなたの手を取り、私たちの住まいにご案内しましょう』。そのとき、私は二人を殺したんだ。もし彼女と一緒に行ってしまったら、私のほうが死んでいただろう。彼女が私を殺していただろう」
シベリアの先住民ハンター、スピリドンじいさんは、デンマークからやってきた学者にこう語るのですが、賢治もこんな世界に入りこんでいたのだとしたら。

ともあれ、かつて読んだその記憶は一度忘れて、はじめて出会うまっさらな気持ちで、ちょうど冬の朝に白くきれいに降り積もった雪にはじめて足をつけていくような気持ちで、ちいさなものがたりをひもといてみませんか。
「人それぞれ」「自由に解釈すればいい」なんてことは、わたくしには言えません。少なくとも「そう」読まれることを賢治はのぞんでいなかった。せいいっぱい、その真実にせまりたいと思います。(案内人 ・「森と畑と牛と」編集人 面代真樹)

【主な図書】
◆宮沢賢治,1924(大正13)『注文の多い料理店』(新潮文庫;1990刊)……上記所収の作品を中心に。 狼森と笊森、盗森 /注文の多い料理店/鹿踊りのはじまり/水仙月の四日/なめとこ山の熊 ほか。
◆レーン・ウィラースレフ,2007『ソウル・ハンターズ―シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』奥野克巳ほか訳(亜紀書房;2018刊)
◆「日本の食生活全集 岩手」編集委員会編,1984『聞き書 岩手の食事』(農文協)