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出雲市立中央図書館にて『山陰民俗』からいくつか複写。

§ムコガンさん

加茂のムコガンさんについて、石塚尊俊が「ミコガミ」すなわち巫女神だとする論考あり。昭和51年(1976)発行の27号に収められている。石塚氏が、井塚忠の「ムコ神さん」の稿、それは山陰中央新聞学芸欄「ふるさと再見」に11月25日に載る予定のものを事前に見せてもらったことに端を発する。安来市から能義奥にかけて11月13日をムコ神さんといい、よそから米をもらい集めてきて、それで小豆飯を炊き、サンダワラに盛って、トコの間か、ウチ庭の先の戸棚の上かに供える。というもの。「よそから米をもらってくる」のは子供たちの役割だったらしく、井塚氏は子供の時分の経験で、数人連れ立ってよその家の門口にたち、大きな声で「ムコグヮのクヮンジ」とやるのがとても恥ずかしかったと記されているという。

それらを端緒として、石塚氏は「ムコガミはミコガミかも!」と思い至り、旧知の坪井洋文が編纂に労をとった『総合民俗語彙』から概要をひき、自ら四国へ取材した折の話が展開されるという構成となっている。
『総合民俗語彙』はデータベース化されて公開されており。
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/goi/db_param
そこでミコガミをひくとこうある。

ミコガミ
高知県香美郡槙山村から徳島県海部郡木頭村にかけての山間の村々
御子神。
高知県香美郡槙山村から、徳島県海部郡木頭村にかけての山間の村々に行われる神職家の祭。大夫をした者が死んで十五年くらいたって祭るのだが、それも病気や災害があって、大夫が神になりたいという催促のお告げがあって祭るのが普通である。これは天の神の家来になるための祭だといって、必ず十七日または二十三日に行い、そのとき位牌を捨てる。三年たってムカエグライ(迎え位か)の祭というのをすると、本当のミコガミとなる[民伝二ノ三]。このことは『土佐国群書類従』の中にも御子神記事として出ている。神職の家以外は今はテンノカミマツリと呼ぶようである。広島県福山市付近には五月と十一月との十三日に御子神祭がもとはあって、家内の祭であった。醸造家では特に念入におこなった。これを忘れていると瘡を発すると伝えた[風俗答書]。島根県大原郡でミコガンサンというのは、十二月十三日で、この日乞食をして米を集めて食うと足を病まないという。

そう。大原郡のミコガンサンがここに出てくる。この当時の大原郡は木次町、大東町、加茂町、温泉村(すでに木次町と合併していたかも)からなる。くまなくではないが、ひととおり目を通しているその限りでは、ミコガンサンの記載があるのは加茂町のみ。しかも、ミコガンサンではなくムコガンサンである。

これ以上、考えるのには材料不足。
向神=サイノカミ=客人神=まつろわぬ神の線から、もう一度みてみることと、シャグジ=クナトカミがあるのかどうか。来訪神の線からも、見直してみようと思う。

ほか、山陰民俗から複写したものとして、以下がある。
†. 中俣均「出雲地方における”小正月の訪問者”について」(35号,昭和55)
†. 山田良夫「吉賀奥探訪記ー石見鹿足郡蔵木村民俗誌(抄)」(40号,昭和58)
†. 土屋長一郎「稲米呼称の推移」(4号,昭和29)
†. 石塚尊俊「石見鹿足郡蔵木民俗誌」(9号,昭和31)
†. 末次福三郎「出雲大原郡加茂地方の歳時」(9号,昭和31)
加茂町誌記載のムコガンさん、その出所はこれではないかと思う。
《十一月 〔十三日〕向神さん(ムコガンさん)、子供は「ムコガンさんだけんゴンゴごはっしやい」といって各戸を廻り米を集める。それを焼いて神仏に供える。商人のウソツキ祝いもこの日》
ウソツキイワイを先の『総合民俗語彙』でひくと次のようにある。

《鳥取県伯耆では十二月八日のヨウカマチに、変わりものをこしらえて一盃を傾け、これを嘘つき祝といっている[風画二六一]。その際に豆腐は必ず食うという者も多い。これを食うと一年中についた嘘が消えるともいう。
[-]因幡の方でもこれをウソツキトウフと呼び、ついた嘘の数だけ豆腐を買わねばならぬとも、またこのヨウカブキの日の豆腐を食えば、吹雪にやられぬともいっている。嘘と豆腐との関係は不明であるが、岡山県英田郡でも、十二月の八日待ちには豆腐を食べ、この日を年中の嘘はがしといっている[郡誌]。島根県仁多郡でも、やはり八日をヨウカマチともヨウカヤキ・ヨウカブキとも呼んで、米の団子に小豆餡を入れ、焙烙で焼いたおやきをつくる。一年中の嘘を消すために、このおやきを川へ流すのである[民伝一四ノ六]。》

†. 土井伸一「ワニを食べる文化」(52号,  )

そして、借りている本をいかにあげる。
†. 石塚尊俊,2005『暮らしの歴史』(ワン・ライン)
†. 乙立郷土誌編纂委員会,2005『乙立郷土誌』(乙立自治協会)
p.142に入会山について興味深い記載がある。

《入会山 現在の乙立地区内の公有林および町内共有林、神社林の大部分は、明治年代まで野山と称し、入会山であり、即ち村中持ちと呼び、共有林として、村人は概ね勝手に山に入り薪や草を採取し、また小炭を焼きあるいは焼畑(通称さんか)をなし作物をつくることもできた》

焼畑をサンカを呼ぶのは、出雲西部の山間部にあるようで、白石昭臣『竹の民俗誌』p26に、志津見地方のことで出てくる。

《かつてはハンゲまでに田植えをすませると、組ごとに管理する山を焼く。無用山ともいう竹や笹を主とする雑木山を焼くもので、サンカ(山火)ともいっている。一戸あたり1.5町歩(約150r)を焼くという。》

他にもいくつか特筆事項があるのだが、のちほど加筆する。灰買いのことなど。

†. 藤原俊六郎,2013『新版 図解土壌の基礎知識』(農文協)
†. David.W.Wolfe,2001『地中生命の驚異ー秘められた自然誌』(長野敬,赤松眞紀訳;2003,青土社:Tales from the Underground-A Natural History of Subterranean Life)
†. 浜田信夫,2013『人類とカビの歴史 闘いと共生と』(朝日選書)
†. 内田樹,2012『街場の文体論』(ミシマ社)

出雲市立中央図書館へ。
今週来週のところで雨の日があれば、半日くらいかけて地誌を総あたりして山あがりを調べていく(のだ)。

†. 稗原郷土史編集委員会,昭和60『稗原郷土史』(稗原自治協会)
生活編〜村の年中行事中より
四月
八日の花祭りと大山さんが挙げられている。
《大山さん(だいせんさん)、これは牛馬の守り神として村内各所にまつられている。祭日は一定しないが、春か秋に祭を行って、牛馬を連れて参ったり、参拝者が受けたお札を厩舎に張ったり、供物を牛馬に与えるなどして厩の繁盛を祈った》
※年中行事の項に関して特筆すべきは3点。
・藩政期に続いて明治初期に行われた年中行事について、野尻牛尾家の古文書によって記述したものであること。
・正月につく餅について、粟餅祝を雪隠の神に供えたとあること。
・6月(旧暦)の1日に、麦の御初穂を神棚に供えて麦神祭りを行う、と。

†. 浜田信夫,2013『人類とカビの歴史 闘いと共生と』(朝日選書)
†. 矢野 憲一,1979『鮫 』(法政大学出版局)
†. 一島英治,1989『発酵食品への招待―食文明から新展開まで 』(裳華房)
†. 内田樹,2012『街場の文体論』(ミシマ社)

 午前には青空がひろがった。気温も10℃近くまであがり、冬が終わったかのような安堵感さえ覚えたほど。明後日に寒波到来とのニュースがそらぞらしい。玄米の昼食を食べた後、斐伊川の北側土手を通って出雲方面へ。いつも通る上津の道とは趣が大いに異なる。山の植生やら景色やら家々の佇まいやら。何より車とすれ違わないことからくるものか。木次から20分ほどで出西窯のル・コションドールにつく。しばしお茶を喫したのち出雲市立中央図書館で下記の本を。帰路はいつもの上津の土手を通った。いがやの堰に白鳥が四羽。あの白をみるとやはり冬なのだなあと思う。

†. 川上正一著,伊沢正名写真,2013『森の不思議な生きもの 変形菌ずかん』(平凡社)
†. 藤原俊三郎,2003『堆肥のつくり方・使い方』(農文協)
†. D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†. 大原健一郎ほか著,2016『合本完全版 印刷・加工DIYブック』(グラフィック社)
†. 原武史,2015『皇后考』(講談社)
†. 工藤極,2018『陛下、お味はいかがでしょう。ー「天皇の料理番」の絵日記』(徳間書店)
†. 高楼方子, 2016『ココの詩』(福音館)

安来、米子方面へ。どんよりとした空の下を走る。いつもの日曜日より車は少なかったか。
とある打合せでインドのタラブックスの話を出したところ、「私、持ってますよ」と。「The Night Life of Trees」(夜の木)である。あぁ「世界を変える美しい本〜インド・タラブックスの挑戦」展が広島に来てくれますよにと願いつつ。
ビュッフェ美術館での展示模様(写真)がウェブサイトに出ていて、夜の木のダミー版を見ることができる。
こちら。そして、いくつかのリンク先などを。
◆タラブックス
◆タムラ堂

というわけで? シルクスクリーンと手製本の試作をはじめる。道具・材料を揃えていきます、じょじょに。
さて、米子をあとにして帰路。午後4時少し前に県立図書館に入る。30分程度の滞在。開架にはシルクスクリーン印刷について書かれた本はなかった。閉架にはあるのかもしらん。貸出延長も含めて借りた本は以下の6冊。

†.アランナ・コリン著,矢野真千子訳『あなたの体は9割が細菌―微生物の生態系が崩れはじめた』(2016,河出書房新社)→版元頁
†.大園享司,2018『生き物はどのように土にかえるのかー動植物の死骸をめぐる分解の生物学』ペレ出版)→版元頁
†.T.A.シービオク,J.ユミカー.シービオク,富山太佳夫『シャーロック・ホームズの記号論』(1994,岩波書店)→千夜千冊〜0508夜
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)→amazon頁
†.『素材を活かした手製本の教室』(スタジオタッククリエイティブ)

やまたのをろちはワインを飲んだのか〜マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』etc.(本の話#0016)


第16回の本とスパイス、その背景などについて少々。

昨年の秋から、木次の山野で、阿井の山野で、山葡萄を探している。エビヅル、サンカクヅルを含めたブドウ科で果実が食せるものを。これが、びっくりするくらいに見当たらない。「松江の花図鑑」のサイトをみれば、サンカクヅルエビヅル、は松江市内のいずこかに。対象を県内にひろげてみても、全域で見られるようなのに。
なぜだろう。どうしてだろう。探し方も見つけ方も悪いのだろうと思っていた。だがしかし、ブドウ科には詳しい、というより専門家たる葡萄園のS氏も「探しているけどなぜかない」と。
頭の中に「山ブドウ」の文字が浮かんでは消える日々が続き、雪の季節にもなり、また来年の宿題かと思っていた頃、東京で髙山氏に会う機会を得たので、表題の件を聞いてみたのだ。
いや、山葡萄探しから飛躍しすぎた。
その手前、そもそもなぜ山葡萄かということについて述べなければつながらないのだが、長くなる。ここでは自分への備忘も含めふたつをあげておく。
◉2017年の採集草木調査の一断片としてこんなことを言っていた
奥出雲山村塾のfacebookページ投稿
◉山葡萄をはじめ手をのばせば食べられるものが山にはたくさんあったというHさんの思い出。これについては、髙山宗東「八鹽折酒」考を。
続きはまた。
古事記を読むとはどういうことか。なかでもやまたのをろちをどう読むか。そしてマイケル・ポーランが「料理」をどうとらえているか。をろちとの関係は。と続く。

島根県立図書館にて。半月ほど前に借りたものなども含めて。

◆借りた本
†.現代思想臨時増刊,2016.6『微生物の世界』(青土社)
†.D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)
†.美篶堂,2009『はじめての手製本―製本屋さんが教える本のつくりかた』(美術出版社)
†.美篶堂著・本づくり協会監修,2017『美篶堂とはじめる本の修理と仕立て直し』(河出書房新社)
†.マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』(Michael Pollan 2013,Penguin Press,Cooked: A  Natural History of Transformation/2014,NTT出版)
†.金子信博,2007『土壌生態学入門』(東海大学出版局)
†.保立道久,2012『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』 (岩波新書)

【釈】
◉マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』
 マイケル・ポーランはジャーナリストのようでありそうではない。そうとらえないほうがいいという意味で。大学教授、料理研究家、園芸家…複数の顔をもつ? それもこれも、彼が「食」に対してラディカルな問をもって向かうからだ。工業化された製品としての食が大量に市場に供給され、私たちはそれを「選択」し「消費」する。料理をする時間をけずり、また料理をしないのに、わたしたちは料理をつくる番組に釘付けになる。それはなぜか?ーーそれはこの書籍の邦題にあらわれている。人間は料理をする動物だから。
 また、この本はわたしたちに「出会い」を用意するものでもある。食べ物のことで、世間の流れに違和感を抱いている人にとって、とびきりの出会いが。
 
「第4部 土〜発酵の冷たい火」はこうはじまる。
《死が身近に迫っていることについて、しばし考えてほしい。いや、対向車がハンドルを切り損ねるとか、ベビーカーに爆弾が仕掛けられているといったことではない。熟した果実の皮の上にいる大量の酵母菌のことだ。彼らはその皮が破れたら甘い果実に侵入して腐らせようと待ち構えている。あるいは同様の目的を持ってキャベツの上で待機している乳酸菌や、さらには、わたしたちが連れ歩いている目に見えない微生物のことを》
 発酵の力とは分解する力であり、そのゴール(目的)は有機体の死である。有機物を無機物へと変えていくこと。そしてその死をもたらすものは目に見えない小さな無数の存在として、世界の中に偏在しているし、私たち自身の内部にも皮膚の上にもあって、いまかいまかと待ち構えているのだと。
 この想像力と抽象力でもって、発酵というテーマが語りはじめられる。

 
※2019/01/05訂正加筆

サンタクロースはどこにいるのか〜柳田國男『小さき者の声』etc.(本の話#0015)

「サンタクロースはどこにいるのか」と題した12月の本とスパイス。
2年前、第1回の本とスパイスで取り上げた、C.レヴィ=ストロースの『サンタクロースの秘密』、その続編でもある。とりあげるのは、柳田國男の『小さき者の声』。
並べて、交互に読んでみると、柳田とレヴィ=ストロースがとてもよく似た思考法をもって、民俗の現象の「ひみつ」にアプローチしていることがわかる。来訪神、子ども、冬至や年末、年越しの民俗、そうしたものの比較からとは違う何かが見えてきそうだ。さて、どうなりますか。

島根大学付属図書館にて、資料の複写と閲覧。その備忘である。

◉青木繁,1966『豊後の茸師』(富民協会出版部)…匹見に茸づくりを伝えた三平について、この文献を参照する資料をいくつか見ていた。国会図書館にもなく、大学図書館で蔵するところも少ないのだが、なぜか島大にはある。2年越しの宿題をかなえるべく、のはずだが、やや拍子抜け。そこまで詳細なものはなかった。とはいえ、生年や経歴などがはっきり記されているのは、ほかに参照している資料があるのだろう。
・筍師三平
・享和3年(1803)、現在の大分県津久見市彦之内に生まれる。天保5年から同10年まで深場官山の藩営事業場でシイタケ栽培の講習を受け、同11年から嘉永5年まで、現在の島根県津和野町匹見に居住しシイタケづくりに励んだ。

◉和歌森太郎編,1963『美作の民俗』(吉川弘文館)

すきとおったほんとうのたべもの〜宮沢賢治『注文の多い料理店』etc.(本の話#0014)

今日、図書館で『ソウル・ハンターズ』を借りてきた。あぁ。あぁ。ここから、言葉をつぐために数日がほしい。

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。