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 午前には青空がひろがった。気温も10℃近くまであがり、冬が終わったかのような安堵感さえ覚えたほど。明後日に寒波到来とのニュースがそらぞらしい。玄米の昼食を食べた後、斐伊川の北側土手を通って出雲方面へ。いつも通る上津の道とは趣が大いに異なる。山の植生やら景色やら家々の佇まいやら。何より車とすれ違わないことからくるものか。木次から20分ほどで出西窯のル・コションドールにつく。しばしお茶を喫したのち出雲市立中央図書館で下記の本を。帰路はいつもの上津の土手を通った。いがやの堰に白鳥が四羽。あの白をみるとやはり冬なのだなあと思う。

†. 川上正一著,伊沢正名写真,2013『森の不思議な生きもの 変形菌ずかん』(平凡社)
†. 藤原俊三郎,2003『堆肥のつくり方・使い方』(農文協)
†. D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†. 大原健一郎ほか著,2016『合本完全版 印刷・加工DIYブック』(グラフィック社)
†. 原武史,2015『皇后考』(講談社)
†. 工藤極,2018『陛下、お味はいかがでしょう。ー「天皇の料理番」の絵日記』(徳間書店)
†. 高楼方子, 2016『ココの詩』(福音館)

安来、米子方面へ。どんよりとした空の下を走る。いつもの日曜日より車は少なかったか。
とある打合せでインドのタラブックスの話を出したところ、「私、持ってますよ」と。「The Night Life of Trees」(夜の木)である。あぁ「世界を変える美しい本〜インド・タラブックスの挑戦」展が広島に来てくれますよにと願いつつ。
ビュッフェ美術館での展示模様(写真)がウェブサイトに出ていて、夜の木のダミー版を見ることができる。
こちら。そして、いくつかのリンク先などを。
◆タラブックス
◆タムラ堂

というわけで? シルクスクリーンと手製本の試作をはじめる。道具・材料を揃えていきます、じょじょに。
さて、米子をあとにして帰路。午後4時少し前に県立図書館に入る。30分程度の滞在。開架にはシルクスクリーン印刷について書かれた本はなかった。閉架にはあるのかもしらん。貸出延長も含めて借りた本は以下の6冊。

†.アランナ・コリン著,矢野真千子訳『あなたの体は9割が細菌―微生物の生態系が崩れはじめた』(2016,河出書房新社)→版元頁
†.大園享司,2018『生き物はどのように土にかえるのかー動植物の死骸をめぐる分解の生物学』ペレ出版)→版元頁
†.T.A.シービオク,J.ユミカー.シービオク,富山太佳夫『シャーロック・ホームズの記号論』(1994,岩波書店)→千夜千冊〜0508夜
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)→amazon頁
†.『素材を活かした手製本の教室』(スタジオタッククリエイティブ)

やまたのをろちはワインを飲んだのか〜マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』etc.(本の話#0016)


第16回の本とスパイス、その背景などについて少々。

昨年の秋から、木次の山野で、阿井の山野で、山葡萄を探している。エビヅル、サンカクヅルを含めたブドウ科で果実が食せるものを。これが、びっくりするくらいに見当たらない。「松江の花図鑑」のサイトをみれば、サンカクヅルエビヅル、は松江市内のいずこかに。対象を県内にひろげてみても、全域で見られるようなのに。
なぜだろう。どうしてだろう。探し方も見つけ方も悪いのだろうと思っていた。だがしかし、ブドウ科には詳しい、というより専門家たる葡萄園のS氏も「探しているけどなぜかない」と。
頭の中に「山ブドウ」の文字が浮かんでは消える日々が続き、雪の季節にもなり、また来年の宿題かと思っていた頃、東京で髙山氏に会う機会を得たので、表題の件を聞いてみたのだ。
いや、山葡萄探しから飛躍しすぎた。
その手前、そもそもなぜ山葡萄かということについて述べなければつながらないのだが、長くなる。ここでは自分への備忘も含めふたつをあげておく。
◉2017年の採集草木調査の一断片としてこんなことを言っていた
奥出雲山村塾のfacebookページ投稿
◉山葡萄をはじめ手をのばせば食べられるものが山にはたくさんあったというHさんの思い出。これについては、髙山宗東「八鹽折酒」考を。
続きはまた。
古事記を読むとはどういうことか。なかでもやまたのをろちをどう読むか。そしてマイケル・ポーランが「料理」をどうとらえているか。をろちとの関係は。と続く。

島根県立図書館にて。半月ほど前に借りたものなども含めて。

◆借りた本
†.現代思想臨時増刊,2016.6『微生物の世界』(青土社)
†.D.モンゴメリー,A.ビクレー『土と内臓―微生物がつくる世界』(築地書館)
†.小泉武夫,1984『灰の文化誌』(リブロポート)
†.小泉武夫,1989『発酵―ミクロの巨人たちの神秘』(中公新書)
†.美篶堂,2009『はじめての手製本―製本屋さんが教える本のつくりかた』(美術出版社)
†.美篶堂著・本づくり協会監修,2017『美篶堂とはじめる本の修理と仕立て直し』(河出書房新社)
†.マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』(Michael Pollan 2013,Penguin Press,Cooked: A  Natural History of Transformation/2014,NTT出版)
†.金子信博,2007『土壌生態学入門』(東海大学出版局)
†.保立道久,2012『歴史のなかの大地動乱―奈良・平安の地震と天皇』 (岩波新書)

【釈】
◉マイケル・ポーラン『人間は料理をする・下』
 マイケル・ポーランはジャーナリストのようでありそうではない。そうとらえないほうがいいという意味で。大学教授、料理研究家、園芸家…複数の顔をもつ? それもこれも、彼が「食」に対してラディカルな問をもって向かうからだ。工業化された製品としての食が大量に市場に供給され、私たちはそれを「選択」し「消費」する。料理をする時間をけずり、また料理をしないのに、わたしたちは料理をつくる番組に釘付けになる。それはなぜか?ーーそれはこの書籍の邦題にあらわれている。人間は料理をする動物だから。
 また、この本はわたしたちに「出会い」を用意するものでもある。食べ物のことで、世間の流れに違和感を抱いている人にとって、とびきりの出会いが。
 
「第4部 土〜発酵の冷たい火」はこうはじまる。
《死が身近に迫っていることについて、しばし考えてほしい。いや、対向車がハンドルを切り損ねるとか、ベビーカーに爆弾が仕掛けられているといったことではない。熟した果実の皮の上にいる大量の酵母菌のことだ。彼らはその皮が破れたら甘い果実に侵入して腐らせようと待ち構えている。あるいは同様の目的を持ってキャベツの上で待機している乳酸菌や、さらには、わたしたちが連れ歩いている目に見えない微生物のことを》
 発酵の力とは分解する力であり、そのゴール(目的)は有機体の死である。有機物を無機物へと変えていくこと。そしてその死をもたらすものは目に見えない小さな無数の存在として、世界の中に偏在しているし、私たち自身の内部にも皮膚の上にもあって、いまかいまかと待ち構えているのだと。
 この想像力と抽象力でもって、発酵というテーマが語りはじめられる。

 
※2019/01/05訂正加筆

サンタクロースはどこにいるのか〜柳田國男『小さき者の声』etc.(本の話#0015)

「サンタクロースはどこにいるのか」と題した12月の本とスパイス。
2年前、第1回の本とスパイスで取り上げた、C.レヴィ=ストロースの『サンタクロースの秘密』、その続編でもある。とりあげるのは、柳田國男の『小さき者の声』。
並べて、交互に読んでみると、柳田とレヴィ=ストロースがとてもよく似た思考法をもって、民俗の現象の「ひみつ」にアプローチしていることがわかる。来訪神、子ども、冬至や年末、年越しの民俗、そうしたものの比較からとは違う何かが見えてきそうだ。さて、どうなりますか。

島根大学付属図書館にて、資料の複写と閲覧。その備忘である。

◉青木繁,1966『豊後の茸師』(富民協会出版部)…匹見に茸づくりを伝えた三平について、この文献を参照する資料をいくつか見ていた。国会図書館にもなく、大学図書館で蔵するところも少ないのだが、なぜか島大にはある。2年越しの宿題をかなえるべく、のはずだが、やや拍子抜け。そこまで詳細なものはなかった。とはいえ、生年や経歴などがはっきり記されているのは、ほかに参照している資料があるのだろう。
・筍師三平
・享和3年(1803)、現在の大分県津久見市彦之内に生まれる。天保5年から同10年まで深場官山の藩営事業場でシイタケ栽培の講習を受け、同11年から嘉永5年まで、現在の島根県津和野町匹見に居住しシイタケづくりに励んだ。

◉和歌森太郎編,1963『美作の民俗』(吉川弘文館)

すきとおったほんとうのたべもの〜宮沢賢治『注文の多い料理店』etc.(本の話#0014)

今日、図書館で『ソウル・ハンターズ』を借りてきた。あぁ。あぁ。ここから、言葉をつぐために数日がほしい。

ウバユリのことをまとめておこうと書き記すもの。
記憶が散逸する前に、下書き段階からアップしはじめる。

◉宮本巌『摘み草手帖』
《早春、山野の藪や暗い谷間をのぞくと、色つやのよい放射状をした数枚の葉があちこちで顔を出している。この威勢のよい葉を見る限り、ウバユリの名は当たらない》
この名文ともいえる描写と簡潔なイラストが素晴らしい。なにが名文かって、植物の種類がとんとわからない私でさえ、この一文だけ読んでいた記憶が山の中でよみがえって、「これ、ウバユリじゃないか」と発見することが容易にできたこと。
そして、この記事があったからこそ、食べてみることを躊躇なく試みたわけだ。
油で揚げて、ほくほくのものを食した。

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◉日原町史の記述
のちほど。
地域名が記されていた。牛が食べたとも。人間は根を葛根と同様食用にしたと。

○今年になってからの観察(写真)
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○奥出雲町阿井の山中にてみたもの

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○椎葉クニ子
オスとメスが年によって交互にでる。
オスは茎をのばして花を咲かせるが、メスは茎を伸ばさない。根を食べるのはメスのみだと。これはどこにもそう書かれていたのをみたことがない。

○牧野富太郎の著述
のちほど。

島根県立図書館にて。台風24号・チャーミーが巻き起こす風雨がしだいに強まるなかで3時間程度滞在。

柿木村誌編纂委員会,S61.『柿木村誌』自然編:宮本巌,歴史編:岩谷建三,民俗編:酒井薫美(柿木村)
現代思想2017.3月臨時増刊号,総特集「人類学の時代」(青土社)
平岩米吉,1992『新装版・狼ーその生態と歴史』(築地書館)
◉森山徹,2011『ダンゴムシに心はあるのか』(PHP)
◉岡ノ谷一夫,2010『さえずり言語起源論ー新版 小鳥の歌から人の言葉へ』(岩波書店)

ほか、あたったものをあげておく。
◆松浦章,昭和18『焼土の肥効と利用法』富民協会……一部複写
◆古長敏明,1966『大分県椎茸史』(大分県農業振興運動協議会,農振教養シリーズ;3)……一部複写

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本の話とカレーのゆうべ。人文カフェともサイエンスカフェともいえましょうが、そのご案内。
「森と畑と牛と」 編集人の面代真樹が、動物と人との関係を、思想と科学の歴史を軸にお話します。
◉主 催:カフェオリゼ&樟舎
◉日 時:10月5日(金)
開 場…18:30〜
トーク…19:00〜20:30
(20:30〜22:00 食事とカフェの時間)
◉場 所:カフェオリゼ(島根県雲南市木次町里方331-1)
◉参加費:2,500円(スリランカカリー、ドリンクセット含)
◉定 員:12名
◉申 込:メールまたはFAXにて、「本とスパイス参加希望」として、お名前とご連絡先を明記の上、お送りください。申込は返信をもって受付と致します。
honto@ksnoki.org
fax0854-47-7181

◉内 容:案内人……面代真樹(「森と畑と牛と」 編集人)
あなたは、動物のメッセージを聞いたことがありますか?
かつて、動物が人に話しかけることは珍しいけれどあり得ることとして受け入れられていました。 古層への回路をもつ民の間では、今でも常識の範疇にあります。 日本でも百五十年ほどもさかのぼれば、その痕跡が見つかります。 たとえば石見地方の日原。ある日、狼が庭にやってきて「魚の骨がのどにかかって痛いから掘り出してくれ」と言っているのです※1。
しかし、最近の調査や報告から知れるのは、動物のメッセージを受け取れる人間も、言葉をしゃべる動物たちも、もう本当にいなくなってしまうのだろうということ。
なぜなのでしょう。
私たちは、もう動物の言葉を聞くことはできなくなってしまったのでしょうか。
いや、そうではなく……。私たちが聞く耳を失ったばかりではなく、動物たちのほうが、言葉をしゃべることができなくなってしまっているのだとしたら……※2。

そんなお話を以下の本をとりあげながら展開します。

『動物に魂はあるのか―生命を見つめる哲学』金森修著(中公新書)
『感応の呪文―〈人間以上の世界〉における知覚と言語』デイヴィット・エイブラム著/結城正美訳(水声社)
『ソウル・ハンターズ―シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学』 レーン・ウィラースレフ著/奥野克巳ほか訳(亜紀書房)
『精神の哲学・肉体の哲学―形而上学的思考から自然的思考へ』 木田元・計見一雄著(講談社)

※1)※『石見日原村聞書』大庭良美・1974(未来社)による。動物が人と話すのは、民話のなかではあたりまえのように展開するが、実話・実歴となるとそう多くはない。 ただ、民話(昔話)と実話は明確な境界をもたず、重なりあうものでもある。神話と史実との関係にも似て。今回着目したいのは、この日原の例がそうなのだが、狼を見たことがある人が語っているということ。それは狩猟を行うものか近いものであったということだ。動物と話をするアラスカのコユコン、極北タイガのユカギール、いずれも狩猟民であることは、何をものがたるのか。
※2)「もののけ姫」での乙事主を思い出してみよう。「わしの一族を見ろ!みんな小さくバカになりつつある。このままではわしらはただの肉として人間に狩られるようになるだろう」